2022年12月25日「さあ、ベツレヘムに行こう」
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さあ、ベツレヘムに行こう
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
ルカによる福音書 2章8節~21節
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聖書の言葉
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。ルカによる福音書 2章8節~21節
メッセージ
本日の聖書箇所は一つ前の段落、1-7節から続きである。本来であれば、御一緒にこのところも聖書箇所にすればよかったのかもしれない。1-7節が出来事。そして、8節以後が出来事の意味、そのように理解できるからである。本日の聖書箇所には、告知や報告、伝達をあらわす言葉が多い。その伝達内容が1-7節。
この箇所はイエス・キリストの誕生を告げている。ルカによる福音書は、このキリストがお生まれになるということを、1章で様々な人の口を通して明らかにしてきた。それと比較してキリストの誕生の記事それ自体ははずいぶんとあっさりしているように思えなくもない。たったの7節。しかも、このところには登場人物が何を感じ、どう思ったのかということが記されていない。1章にはマリアの心の内について様々に述べている。それにも関わらず、このところはとてもあっさりしている。このところではただ、イエス・キリストが飼い葉桶の中に生まれたことが記されている。
このところに、布にくるんで、とある。布とはおむつのことである。布おむつとでもいうのだろうか。いわゆる、おくるみのような立派なものではなく、おむつをただ巻いている幼子。それが救い主イエスなのである。このイエスの姿。おむつと飼い葉桶に包まれている姿。この姿を、古来より教会は「明らかにされたが、まだ隠されている」救い主の姿だと解釈してきた。布も飼い葉桶も、旧約聖書では何かを隠すために用いるということから、そのように理解されてきたのである。そして、この隠された救い主、キリストがいよいよ、明らかになってくる。それが8節以後の段落のメッセージ。
キリストの誕生がまず明らかにされたのは、羊飼いである。この当時、ユダヤ人たちの間で、差別的に用いられいた言葉として、「ハ・アーレツ」という言葉がある。土の人、という意味。汚れている人という意味がある。羊飼い達はこのハ・アーレツに含まれる人々。不定住の暮らし。ホームレス、といえばわかりやすいだろうか。そしてこの土の人というのは、宗教的な意味もある。それは、神の恵みから外れた人、神の国に入れない人。そのような意味がある。
この羊飼い達は当時、まわりから土の人、そのように揶揄されていたのである。彼らは汚れていて、神から遠いと人々から思われていた。その羊飼い達に、神から遠いと言われていた人々に、天から光が舞い降りてきた。まことに、この恵み深い、ありがたい出来事を聖書は語るのである。
神の民とされていた人々から遠い人々。その人々にまで、神の国がやってきた。これが、救い主の誕生の意味である。イエスはなぜ、生まれたのか。神の国があなたのところにまで来た。あなたがたをすっぽりと包むために来た。羊飼い達はこの神の恵みの到来を聞いてその一歩を踏み出した。救い主のところへ。その一歩を踏み出したのは「今日」。私たちもまた、私たちのところにきてくださった救い主のところに、向かう。その一歩を踏み出していく。