2024年04月14日「良い言葉、つまらぬ言葉」

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良い言葉、つまらぬ言葉

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
マタイによる福音書 12章33節~37節

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聖書の言葉

「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」マタイによる福音書 12章33節~37節

メッセージ

前回に続き、イエス・キリストがファリサイ派の人々と論争をしている場面。ファリサイ派の人々はイエスの癒しの御業に対して「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」(12章24節)と言った。ここにこの人の本性があるとイエスは言う。思ってもいないことが口から出てくる、ということではない。

いうまでもなく言葉の重要。それが私たちの心の内にあるものを反映している。イエスが強調されたのは、「人の口からは心にあふれていることが出て来る」という事実である。この教えは、言葉が単なる音声ではなく、私たちの内なる心理や信念を表す手段であることを示している。イエスは、心を倉に例え、良い言葉は天に思いがあり、人を神に向かわせるものだと言う。私たちは罪人だが、聖霊の力によって言葉を清められる。つまらない言葉とは、神に対する怠惰である。神を第一とすることを怠ると、神の前に生きること。それが前の段落から引き続いてイエスが強調していることだ。

言葉によって人々がどのように影響を受けるかについて、私たちは良く知っているのではないか。だからこそ言葉の使い方には慎重であるべきであり、それが如何に大きな影響を持つかを日々の生活の中で自覚したい。たとえば、家族や友人とのやり取りでも、私たちの言葉がどのように感じられるか、どのような影響を与えるかを考えるべきだ。そのためには、主イエスの教えに耳を傾け、神の言葉を心の倉庫に蓄え、善良な言葉を人々に与えることが求められる。良い言葉の良いとは「神と共にある」ということ。だからこそ、私たちの言葉もまた主の御前に立つときに問われる。

最終的に、マタイ12章37節で主イエスが述べられた「あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる」という言葉は、私たち自身の言葉がどれだけ重要かを教えてくれる。私たちは神の前に立つものとして、言葉を整えて行くものでありたい。そのためにも、言が神になったとい言われるイエス・キリストを仰ぎ見る。