2023年06月11日「キリストの権威による癒やし」
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キリストの権威による癒やし
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
創世記 12章34節~56節
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聖書の言葉
さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。創世記 12章34節~56節
メッセージ
ウェストミンスター小教理問答の問4は神とはどのようなお方なのかを教えている。その答えはこうなっている。「神は、その存在、知恵、力、聖、義、いつくしみ、まことにおいて、無限、永遠、不変の霊です」。教理は聖書を読み解いた上で書かれるものなので、この神理解は聖書に書いてある神の姿をまとめたもの。本日の聖書箇所においても神の無限のいつくしみを知ることができる。
イエスがカファルナウムに入られた時、百人隊⻑が目の前に現れた。百人隊⻑はこのあたりを支配していたローマの軍人。この人の僕が中風で倒れてしまった。病状は相当悪く、死が近い。そのことにこの隊⻑も痛みを感じていた。死は本人の問題だけでなく、まわりの人を巻き込む。それが死の残酷さである。そしてこの当時、異邦人がユダヤ人の聖書の先生に近付くことは滅多になかった。そえはタブーだった。この隊⻑はタブー破り、キリストに近付いたのだ。そしてキリストに病の癒やしを願いでた。
そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。しかしこの隊⻑はこのところで、キリストに来ていただく必要はない、といっている。ただ言葉一つ、くだされば僕は癒やされる。キリストの言葉への信頼が見られる。また、この人はキリストを権威あるお方として認識していた。自らの体験からキリストの権威を認め、キリストを尊敬していた。
キリストはこの隊⻑の信仰を認めた。関心したとある。これは驚いたということ。そして、この人の信仰によって、神の恵みが異邦人にも及ぶことが宣言された。それまで人々はユダヤ人にだけ神の恵みが与えられると信じていた。しかし、キリストは神の恵みは一つの⺠族に留まるものではない。広がりをもつことがこのところで明らかになる。その恵みはこの隊⻑を通して明らかになった。だからこそ、この僕は癒やされたのだ。
こうした物語を読むとき私たちの胸に去来する思いはなぜ神は祈りを聞いてくださらないか、というもの。このことについては、謙遜に、神の御心のみがかなうとしかいえない。それとともに、自らの思いをキリストに大胆に届けることの大切さを思う。神の恵みは私たちが信じるよりももっと大きい。神に遠慮はいらない。