2023年06月25日「あなたは今、楽園にいる」
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あなたは今、楽園にいる
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
ルカによる福音書 23章26節~34節
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聖書の言葉
人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。ルカによる福音書 23章26節~34節
メッセージ
イエス・キリストは⼗字架の上でいわれた。「はっきり⾔っておくが、あなたは今⽇わたしと⼀緒に楽園にいる」(43節)。これはキリストからの招きだ。イエスは⼗字架上で⼆⼈の犯罪者とともに処刑されたが、その中で発したこの⾔葉は、私たちに多くの⽰唆を与えている。
⼗字架につけられた犯罪者の⼀⼈は、イエスに冷笑的な⾔葉を投げかけた。彼は主の⼒を疑問視し、⾃分たちを救い出せるなら⾒せてほしいと。これはいわば挑発だ。しかし、もう⼀⼈の犯罪者は、イエス・キリストに対する尊敬と信仰を明らかにした。彼は⾃⾝の罪を認め、キリストの御国で思いだされることを願った。罪⼈である私たちが、信仰をもってキリストに接することで、救いが与えられる。
それでは「楽園」とは何か。私たちは⼀般的に楽園を理想的な場所として捉えるが、キリストが⽰した楽園は、単なる地理的な位置を⽰すものではない。キリストが⽰した楽園とは、神との深い関係を指す。キリストが「あなたは今⽇わたしと⼀緒に楽園にいる」と語った時、彼が⽰した楽園は、神との関係、そしてその中での救いの現実を指しているのだ。
⼈々はイエスが地上の新しい国をもたらすと信じていた。政治的な解放者としてのイエスを期待していた。だからこそ、⼈々は落胆し、その落胆が憎悪となった。キリストを罵った⼈々はキリストへの憎悪を隠さない。しかしながら、イエス・キリストは、やはり王なのだ。楽園をもたらす王である。しかしながら⼈々が待望していた王とは異なる形で現れた。彼は上からではなく、⼈間の中に降りてきて、⼈間の苦しみや罪を共有した。⼗字架は苦しみの最たるもの。それにより、彼は私たちの罪から解放し、神との新しい関係を築く道を開いた。それこそがキリストの救い。
「今⽇」というキリストの⾔葉にも注⽬したい。「今⽇」とは、具体的な⽇付を⽰すのではなく、救いが実現したことを⽰す象徴的な⾔葉だ。キリストが「今⽇、あなたはわたしと⼀緒に楽園にいる」と語る時、楽園の扉は開かれている。私たちがキリストを受け⼊れることで、私たちも楽園に⼊ることができる。
以上から、私たちが救われるためには、信仰によってキリストに接すること、そしてキリストが⽰す楽園とは神との関係であることを理解し、それを受け⼊れることが必要である。そして、その救いと楽園はすでに「今⽇」、私たちに与えられているのだ。