2023年08月13日「イエスの新しさ」

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聖書の言葉

そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」マタイによる福音書 9章14節~17節

メッセージ

本日の聖句では、イエス・キリストの新しさとその行動が人々にどのような驚きを引き起こしたかに焦点が当てられている。この驚きは新しさからくるものだ。人々は新しいことに対して驚き、時には不快に感じた。この新しさは断食を巡る教えに現れている。14節の「そのころ」は10節の食事のこと。イエスが人々と食事をしていたときこれを目撃したヨハネの弟子たちがなぜ断食しないのか理由を問い詰める。

ヨハネの弟子達やファリサイ派にとって、断食は悔い改めの印であり、神との約束を守るための方法。しかし、イエスは神が目の前にいる場合、断食は不要であると回答した。イエスはこの消息を婚礼の客に例えている。キリストのところに集う人々は神からの祝宴に招かれた一人ひとり。イエスは罪人や徴税人、異邦人をこの祝宴に招かれた。また、イエスの新しさは、古い布と新しい布を一緒に使ってはいけない、新しい葡萄酒は古い革袋に入れてはいけないといった例えを通して強調される。これらの例えは、ユダヤ教とキリスト教の対比を象徴しているといえるだろう。洗礼者ヨハネは新約聖書に登場するが、イエス・キリストを指し示す人物なのでその意味においては旧約聖書に属する人物。

そして本日の聖句では、キリストが人々と共に飲み食いし、喜びを共有したことも強調されている。キリストは私たちの喜びや笑いを肯定し、私たちは喜びと共に生きるべきであることを教えている。私たちはしばしば厳格なクリスチャン像に囚われがちであるが、信仰はもっと自由で喜びに満ちたもの。イエスは私たちの喜びを深く肯定してくださるお方。

もちろん、私たちは喜んでばかりもいられない。キリストも婚礼の客すなわち弟子達が断食をやめる時が来ることを語る。これは十字架の場面でのこと。十字架は罪の現れ。私たちの喜びを妨げるのは罪があるから。それでもキリストに招かれている私たちの罪はゆるされた。だからこそ、私たちは罪と向き合い、キリストの新しい歩みを始める喜びを感じることができる。キリストの十字架による悲しみの断食は、3日間に過ぎず、復活によって新しい喜びの時代が始まったのだ。

日曜日、主の日は、復活の主に招かれる喜びの日で、この日は断食する場ではなく、お祝いの時である。私たちは毎週、新しさと喜び、そして神の新しい歩みに招かれている。この新しさに感謝し、喜ぶことから、私たちの新しい信仰の旅が始まるのだ。