2020年11月15日「終章Ⅰ・教会の姿」

問い合わせ

日本キリスト改革派 高島平キリスト教会のホームページへ戻る

終章Ⅰ・教会の姿

日付
説教
新井主一 牧師
聖書
使徒言行録 28章7節~15節

Youtube動画のアイコンYoutube動画

Youtubeで直接視聴する

聖句のアイコン聖書の言葉

さて、この場所の近くに、島の長官でプブリウスという人の所有地があった。彼はわたしたちを歓迎して、三日間、手厚くもてなしてくれた。ときに、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった。それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。三か月後、わたしたちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗って出航した。ディオスクロイを船印とする船であった。わたしたちは、シラクサに寄港して三日間そこに滞在し、ここから海岸沿いに進み、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹いて来たので、二日でプテオリに入港した。わたしたちはわたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた。使徒言行録 28章7節~15節

原稿のアイコンメッセージ

「終章Ⅰ・教会の姿」使徒言行録28:7~15

今週からいよいよこの使徒言行録のエピローグ部分へと入って行きます。

本日の御言葉で、ローマを目指したパウロが、囚人という立場ではありましたが、ようやくその目的地のローマへと到着いたします。そして、パウロがローマに到着した時の様子が、「わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた。(14節)」とこのように記録されています。しかし、冷静に考えて見ますと、これは首をかしげるような出来事です。

確かにローマの地に到着したものの、今彼はローマ皇帝のもとへと護送されている途中で、まだゴールではありませんし、パウロはあくまでも囚人のはずです。そして、その一行を引率するリーダーは百人隊長ユリウスであったはずです。しかし、ここでは、「請われるままに七日間滞在した」、と記録されているのです。いつの間にか、ローマの信徒とパウロの都合で、このローマへの囚人護送が中断されている、ということです。

 実は、請われるままに、と訳されている言葉が、この文章の主動詞で、通常「慰める」或いは「励ます、」と訳される言葉で、受動態です。ですから「請われるままに七日間滞在した」、と訳されています部分を直訳しますと「七日間滞在することで、私たちは慰められた」とこのようになるのです。そしてこの「慰める」、という言葉が聖書的に非常に大切で、これがエピローグ部分に出てくるのが、ポイントなのです。

 今までこの使徒言行録講解で繰り返し教えられてきましたが、これは、ギリシャ語で「パラカレオー(παρακαλέω)」という言葉です。そして、この言葉は、使徒言行録におきまして、信徒の交わりの本質を示してきた大切な言葉で、信徒全体を包括する言葉、言い換えて見れば、教会そのものを示す慰めの言葉と言えるのです(特に3月1日と8日の説教要約を参照ください)。

 パウロは、すでにこの2年以上前にローマに向けて手紙を書いていました。それがローマ書です。そして、実はこのローマ書のプロローグ部分で、「パラカレオー」が使われているのです。「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。(ローマ1:12)」この励まし合いたいこの言葉が「パラカレオー」です。パウロはローマ書のあいさつで、まず「パラカレオー」である真の信徒の交わりを求めているのです。そして、パウロは、ローマの地に「パラカレオー」を求めて、ここまで歩んできたのです。さらにローマの地を踏んだそのパウロの最初の姿に、「パラカレオー」が使われているのです。なんと気の利いた御言葉の演出ではありませんか。

 「請われるままに七日間滞在した」、訳し変えて見ますと「七日間滞在することで、私たちは慰められた」とここでは淡々と記録されています。しかし、ここにどれだけの喜びがあったでしょうか。今パウロには、万感の思いがあったはずです。

 いつかは行きたいと願いつつ、何度も足止めを食らい、妨害され、殴られ、死ぬ思いを何度も超えて、たどり着いたこのローマの地で、パウロは「パラカレオー」によって愛する兄弟姉妹に招かれたのです。その喜びは、如何ほどであったでしょう。

 そして百人隊長や兵士たちは、この七日の間、「パラカレオー」である信徒の交わりを、少なくとも黙認したのです。

さらにローマの中心部から、信徒たちがやってきます。「ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。(15節)」

ここでは、先ほどの「パラカレオー」に続いて、もう一つ教会の姿を象徴する大切な言葉があります。それは「パウロは彼らを見て、神に感謝し」、この「感謝し」という言葉です。

これは、主の晩餐の御言葉で、主イエスがパンを裂くときに使われている非常に大切な言葉です。私たちの教会の聖餐式の御言葉でもあります。

そして、実は、この言葉は、あの嵐の海の場面のクライマックス部分で使われているのです。「こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。(27:35)」この「感謝の祈り」、この部分です。

実は、ここに教会が建っていたのです。この嵐の海の中で。276名のうちおそらく信徒は、パウロとルカとアリスタルコだけでした。しかし、それでも尚そこは、「二人または三人がイエスの名によって集まるところ(マタイ18:20)」であったのです。立派な教会です。

まさに、そこで、この嵐の中の教会で、「パウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた」のです。

そして大切なのは、実に、この嵐の海が、最初期の教会の置かれた状況そのものであった、ということです。彼らは、迫害や窮乏に囲まれて、いつ死んでもおかしくない状況で伝道をしていたからです。

最初にこの使徒言行録の記事を与えられた教会にとって、この嵐の海の暗闇の中でのパン裂きは、他ならぬ彼らのパン裂きの姿そのものであったのです。

この使徒言行録の御言葉一つで、どれだけの慰めと勇気が教会全体に与えられたでしょうか。それを思いめぐらしていただきたいのです。彼らにとってこの使徒言行録の一つ一つの御言葉は、まさに命の言葉そのものであったはずです。私たちはどうでしょうか。今まで与えられてきた御言葉が本当に私たちにとって命の言葉になっていますでしょうか。

私たちは、多くのものを与えられ、豊かな環境で福音宣教に仕えることが許されています。非常に感謝すべきことです。しかし、それがなくなっても、教会は倒れません。突然、その一つ一つが奪われたり、失われたりすることもあります。今も感染症に脅かされ、活動が制限されています。この先さらに厳しい状況に立たされることもありましょう。

しかし、私たちは、今や、使徒言行録全体を教えられました。私たちは、今、この使徒言行録の御言葉を持っております。今こそ、この御言葉に立とうではありませんか。

 彼らには、主なる神様と御言葉にしか、よりどころがなかった。だから、御言葉だけに頼ったのです。だから祈って、祈って、祈り続けたのです。その結果、キリストの福音は、十字架の言葉は、地の果てまで響き渡ったのです。現代伝道が不振なのは、これがかけているだけかもしれません。取り戻そうではありませんか。使徒言行録を。真の交わりを。