2020年10月11日「最後の説教の後で」

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最後の説教の後で

日付
説教
新井主一 牧師
聖書
使徒言行録 26章30節~27章3節

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そこで、王が立ち上がり、総督もベルニケや陪席の者も立ち上がった。彼らは退場してから、「あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない」と話し合った。アグリッパ王はフェストゥスに、「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と言った。わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒であった。翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。使徒言行録 26章30節~27章3節

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説教の要約「最後の説教の後で」使徒言行録26章30節~27章3節

先週でパウロの最後の説教の御言葉が終わり、本日の御言葉は、このパウロの最後の説教の後の様子が描かれていきます。

説教後のフェストゥスやアグリッパたちの様子を「彼らは退場してから(31節)」と聖書は記録しています。この退場する、という言葉は、聖書で14回使われていますが、通常「立ち去る」と訳されます。実は、この言葉が本日の御言葉のキーワードになります。

 さて、そして彼らは立ち去ったうえで、パウロの無罪を満場一致で確認します。「あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない」これです。

 しかし、御言葉の説教の後で、彼らがすべきことは、そんなことであったのでしょうか。

 パウロがこの説教のどこで、自らの身の潔白を訴えたでしょう。むしろパウロは、過去犯した大罪を白状したではありませんか。彼らが聞いた説教は、パウロの無罪を訴えるものではなく、キリストの十字架と復活の事実を訴えるものでありました。ですから、彼らが説教の後ですべきことは、パウロが無罪か死罪かを議論することではなく、キリストの十字架と復活の事実に、悔い改めることであったのです。しかし、聖書の記事の上では、今ここで悔い改めた者は、一人もおりませんでした。

 さて他方、パウロは、説教後、ついにローマへの道が開けました。

 このローマへの出発の場面で、主なる神様の導きが示されています。

 一つ目は、パウロが、皇帝直属部隊という軍隊に警備されて総督の責任において、ローマへ護送されたことです。執拗にパウロの命を狙っていたユダヤ人たちはもはや手出しできなかったでしょう。パウロは釈放されず、囚人としてローマへ向かうのですが、それがより安全な道であったのです。

 二つ目は、「わたしたちが」、という言葉が、再度主語として使われていますので(27:1)、この使徒言行録の著者である医者ルカが、このローマへの旅に加えられました。年老いたパウロの長旅に医者が同行したことは心強い限りでしたでしょう。

 三つ目は、「マケドニア人アリスタルコ(2節)」という人物も加えられたことです。彼は、パウロの伝道旅行の最中、パウロの命を守るために体を張った人物です(19:29、20:4参照)。この旅の初めに彼と再会したパウロは、主なる神様の奇しき導きを感じたはずです。

 四つ目は、「ユリウスはパウロを親切に扱い(3節)」、とありますように、この旅を率いるリーダーが、パウロを特別扱いにしてくれたわけです。

このように、ローマへの出発が、いよいよ始められた時、主なる神様は、パウロに幾重にも恵みを注いで、その道を備えてくださったわけです。

そして、これがパウロの説教の後で、そのパウロ自身が与えられた道でありました。

このように、パウロの最後の説教の後に、対照的な2つの道が用意されていました。

それは、一方は、フェストゥスとアグリッパとベルニケ、他方はパウロです。

まず、フェストゥスとアグリッパとベルニケ、彼らは、最後の説教の後でどうしたでしょうか。

最初に記しましたが、「彼らは退場してから」、と記録されているように、彼らは、説教の後、立ち去ったのです。これが、この後の彼らの歩みを決定づけたように思えて仕方がありません。

 フェストゥスは、この後2年足らずで地上の生涯を終えました。

 彼が、彼の生涯の残り2年の間で悔い改めたかどうかは、不明です。しかし、パウロの最後の説教がそのまま、この総督が悔い改める最後のチャンスであったのかもしれません。

そして、先週申し上げましたように、アグリッパは、この時まだ33歳の若者で、ベルニケは、その一つ下の美しい女性でした。ところが、この約6年後の紀元66年に、ユダヤ戦争が勃発し、この若い2人は、その混乱の中に立たされました。実はこの2人は、ユダヤ戦争回避のために、あらゆる手段を使って力を尽くし、勇敢に行動したのです。ベルニケは、ナジル人の誓願まで立てて奮闘したことが記録されています。しかし、結局彼らの努力は焼け石に水で、ユダヤ人側にも認めてもらえず、ことごとく失敗に終わり、あの悲惨なユダヤ戦争が勃発しました。

アグリッパもベルニケも、自らが危機にさらされた時、思い出したのではないのでしょうか。6年前、説教の最後に「私のようになれ」と祈ったあのパウロの姿を。パウロとの出会いも、歴史で示されている彼らの勇気ある行動の原因になっているように思えるのです。

でも、だめなのです。パウロを思い出してもそれだけではだめなのです。彼らは、キリストに立ち帰らなくてはならなかったのです。彼らは、説教の後、立ち去った。これは正反対の道です。

説教の後、しなければならないことは、立ち去ることではなく立ち帰ることなのです。

そして実に主イエスに「生まれてこなかったほうがよかった」と言われたユダが、最後に立ち去った男であったのです。

「そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。(マタイ27:5」

ここで「立ち去り、首をつって死んだ」、この「立ち去る」、という言葉、これが本日の箇所の31節の、「彼らは退場してから」、この退場する、という言葉と同じなのです。

両者とも、救いから立ち去り、神の愛と恵みから退場したのです。

神の前から立ち去ってナジル人の誓願を立てても、パウロのように勇気を奮っても何も起こらないのです。誓願などいらない、勇気もいらない、ただ必要なのは、立ち帰ることなのです。

他方、自らの御言葉の説教を終えた後の、パウロのその第一歩を描く御言葉では、「引き渡された」、という言葉が使われています。これが、アグリッパたちに使われている「彼らは退場してから」、この「退場する」、或いは「立ち去る」、と訳せる言葉とコントラストになっているように思えます。

 実は、「引き渡された」、この言葉は、この使徒言行録のパウロの福音宣教の文脈で「神の恵みに委ねる」という神様への全面的な信頼をあらわす大切な言葉です。特に第2回目の伝道旅行の最初に、「一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。(15:40)」このように記録されていまして、この「主の恵みにゆだねられて」、の「ゆだねる」これが、本日の箇所で、「引き渡された」、と訳されている言葉です(14:26も参照)。

 パウロは、最後の説教を語った後、「主の恵みにゆだねられて」、ローマへと旅立ったのです。

 そして、これが遣わされる、ということではありませんか。主の恵みにゆだねられて、それぞれの場所に遣わされる、これが説教の後の最高の祝福です。私たちは、礼拝の最後の祝祷で、解散するのではありません。立ち去るのでもありません。遣わされるのです。

 今日、主の恵みにゆだねられて、遣わされようではありませんか。

その時、必ず、その道は主なる神が備えてくださいます。(讃美歌494)