2020年08月02日「疫病のような人間」

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疫病のような人間

日付
説教
新井主一 牧師
聖書
使徒言行録 24章1節~9節

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聖句のアイコン聖書の言葉

五日の後、大祭司アナニアは、長老数名と弁護士テルティロという者を連れて下って来て、総督にパウロを訴え出た。パウロが呼び出されると、テルティロは告発を始めた。「フェリクス閣下、閣下のお陰で、私どもは十分に平和を享受しております。また、閣下の御配慮によって、いろいろな改革がこの国で進められています。私どもは、あらゆる面で、至るところで、このことを認めて称賛申し上げ、また心から感謝しているしだいです。さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申し上げます。御寛容をもってお聞きください。実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます。」他のユダヤ人たちもこの告発を支持し、そのとおりであると申し立てた。使徒言行録 24章1節~9節

原稿のアイコンメッセージ

説教の要約「疫病のような人間」使徒言行録24:1~9

本日の御言葉は、カイサリアに留置されたパウロを訴えるために、エルサレムから最高法院のメンバーがやってきた場面から始まります。この一行は、およそ一週間前の最高議会で、パウロに「白く塗った壁よ」、とその正体を簡単に見破られた、大祭司アナニアが率いた選抜メンバーでありました。彼は、まさにその通りの人物でした。その男に率いられた一行の素性は、言わずとも知れたものであります。

そのアナニアに雇われた弁護士テルティロという男が、代表して告発をいたします。

この告発の半分以上は総督フェリクスに対するゴマすりで、その後、本論に移りパウロを「疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります(5節)」とテロ組織のリーダーでもあるかのように大げさに表現するのですが、その後は尻つぼみといいますか、何とも内容のない告発となって御仕舞いです。

彼は、「この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました(6節))」、これを決め台詞のように最後にもってきて、あとは、「閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます(8節)」とフェリクスに捜査を丸投げして告発を終えるからです。

 しかし、神殿を汚すとか汚さないとかは、フェリクスにとってはどうでもいい話でありました。

ユダヤ総督にとって、そもそも神殿を汚すなどというのはユダヤ人の問題で、別に関心はなかったのです。ですから、最後の決め手となるはずの「神殿さえも汚そうとしました」、という訴えは、むなしく響くだけであったでしょう。

何とも説得力のない終わり方でありまして、訴え全体を見て見ましても、へつらいのあいさつが

長々とあるだけで、結局何が言いたいのかよくわかりません。

しかし、偽りの訴えとはこの程度のものではないでしょうか。人の感情に訴えたり、大げさな表現を用いたりしても、結局偽りは偽りで、何の説得力も持たないのです。

次週以降パウロの弁明に変わりますが、このアナニアたちの告訴は、この後何ら問題にされずに葬られます。つまり、総督は彼らの訴えに何ら興味を示さなかった、ということでありましょう。

 しかし、噓から出た実とはよく言ったもので、この雄弁家テルティロは、図らずも極めて鋭いことを言っているのです。

 それが、5節で彼が発した言葉、「疫病のような人間」、これなのです。

人間は世界を支配しているように振舞っていましても、たった一つの感染症で世界がひっくり返ってしまい、社会が大きく変わってしまうのが現実です。

 これは今私たちが経験しています。疫病は人間を支配してしまう力を持っているのです。

 しかも古代は現代よりはるかに脅威であったはずです。ワクチンや特効薬の概念などないわけですから。パウロを訴えたアナニア一行は、その力をパウロに感じていたのです。

 ユダヤ人ばかりか異邦人までが、その力でキリストに回心してしまう現実を見ていたからです。

彼らは、福音宣教のその疫病のような力を認めざるを得なかったのです。

 そしてそれは大正解なのです。福音は、世界をひっくり返してしまう力なのです。

 パウロが宣教していた十字架の言葉であるイエスキリストの福音は、世界を変え、人間を支配してしまう力なのです。そして、実に、これがパウロの信仰の頂点にありますあのローマ書の命題であり、結論なのです。「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。(ローマ1:16)」これがパウロの福音理解です。

噓から出た実は、パウロが宣教した福音の力を別の形ではありますが正確に言い当てていたのです。そして、確かに闇の勢力であるサタンの立場から言えば、福音はそのままペストです。

 つまり雄弁家テルティロは、この法廷でサタンの代弁者でもあったということです。

本日は、「疫病のような人間」という説教題が与えられました。この世は、パウロを「疫病のような人間」と呼んだのです。それは、彼が妥協せずに十字架の言葉を語り続け、妥協せずに信仰の歩みを続けたからです。

或いは今改革派教会が失っているのは、この「疫病のような人間」ではないでしょうか。今サタンとこの世の闇から「疫病のような人間」と恐れられるキリスト者が、幾人改革派教会におりましょうか。

 7月23日、平和を創り出すために戦い抜いた一人の長老さんが天に召されました。92年の歩みでした。この長老さんは、私が、物心がついた時、教会のすぐ後ろの席に必ずおられました。その頃から、ヤスクニ問題の先頭に立って戦っていました。1974年に靖国法案が廃案になったのは、その戦いがあったからでした。

この長老さんを「疫病のような人間」と思った人は少なくなかったはずです。

ヤスクニ問題の第一人者でありましたから、いつも全国を走り回り、海外へも講演に行かれていました。それでもこの長老さんは、どんなに忙しくても、それを理由に、教会の礼拝と祈祷会を休んだことはありませんでした。この信仰者にとって、神礼拝から遣わされない働きは、一つでさえ考えられなかったからです。サタン、そしてこの世に「疫病のような人間」と恐れられて信仰の歩みを全うした長老さんの力の源は、神礼拝であったのです。

 「疫病のような人間」…、最も言われたくない呼び名です。しかし、信仰に妥協しない時、そのように呼ばれるのなら、喜んで受けようではありませんか。

 主イエス様が、あの山上の垂訓でそのように言われているからです。

 「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(マタイ5:11、12)」

この御言葉にヤスクニ問題と戦い続けた長老さんの後ろ姿が浮かびます。

主イエスは、信仰のゆえに「疫病のような人間」と言われる時、あなたがたは幸いである、とおっしゃってはばからないのです。さらに、喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある、とこのように約束されるのです。

「疫病のような人間」と呼ばれた『ナザレ人の分派』の主謀者、そしてヤスクニ問題の主謀者は、この世から憎まれても、この主イエスの言葉に立ったのです。この世の誉れではなく、天の報いに目を向けたのです。

 私たちが、この世でどう呼ばれるか、それは大した問題ではありません。大切なのは、主イエスに対してどう生きるか、この一事であります。天には大きな報いがあるからです。(讃美歌513)