2023年07月02日「天の国の価値」
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天の国の価値
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 13章44節~52節
聖書の言葉
44「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
45また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 46高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
(44-46節)
マタイによる福音書 13章44節~52節
メッセージ
「天の国は次のようにたとえられる」「また、天の国は次のようにたとえられる」と繰り返しながら、イエス様がたとえを用いながら「天の国」について教えておられます。
畑で宝を見つけた人(44節)と、真珠を見つけた人(45-46節)の二つの譬えに共通していることは、「持ち物を全て売り払ってでも手に入れるほどの価値を、この宝ないし真珠に見出した」ということです。そしてこれこそ、天の国を見出すことの価値だとイエス様は語っておられます。つまり天の国には欠けがえのない価値がある、それも、他のものを全て捨て去ってでも手に入れたいと思うほどの価値がある、というのです。
天の国とは、これまでもお話ししてきたように、他の福音書でいう「神の国」と同じ意味で、基本的には神様の支配を表す言葉です。それは簡潔に言い換えるならば、神の恵みによって生かされる場所です。神様との関係の中で、神様を自分の主人、または王として見上げる神の民がいる場所です。イエス様はその福音宣教のはじめから「天の国は近づいた!」と言っておられました。イエス・キリストにおいて天の国が到来したということは、この地上に、神様と共に歩む祝福が到来した、ということに他なりません。私たちは今、聖書を通してイエス・キリストの救いの恵み、罪からの贖いを告げられています。これは神様から私たちへ贈られるプレゼントであり、これを受け取る人は喜びに満たされて新しい人生に向かっていきます。その福音は、私たちにとってすべてのものを後にしてでも手に入れたいと思うほど価値のあるもので、尊い宝であり、真珠であるのです。全てを治めておられる神様が、信じる人の人生をも支配してくださって、毎日の生活の中に喜びをもたらしてくださる。それが、「天の国を見出す」ことの内容であり、御言葉に耳を傾ける私たちに無償で与えられている恵みです。
二つの譬え話には、共通点だけでなく、相違点もあります。それは何かというと、畑に埋もれた宝を見つけた人は、これを偶然に発見したのに対して、真珠を見出した商人は、長年にわたって求め続けていた、という点です。それが意味するところは、私たちが天の国を見出す経緯は、人によって異なるということです。つまり私たちが救い主イエス・キリストを見出し、信じて受け入れるようになる経緯はさまざまで、全ての人が同じ、ではないのです。ある人にとっては、教会に繋がり、イエス様と繋がることになったのは思いがけないことだったかもしれません。通っていた学校や幼稚園がミッション系だったことが始まりであったり、あるいは結婚がきっかけであったり、あるときふと思い立って教会の門をたたいた方もいらっしゃるでしょう。またある人にとっては、何年もかけて人生を考え、救いを求めてこの宝を見出した方もいらっしゃると思います。
肝心なことは、その進んだ道の先で天の国を「見出す」ことです。イエス様は、そこには価値があるのだと、これまで自分が持ち合わせていたものを超える、ここにしかない価値がある、と言っておられるのです。