2023年06月11日「豊かに実を結ぶために」

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豊かに実を結ぶために

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
マタイによる福音書 13章1節~23節

聖句のアイコン聖書の言葉

1その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。
2すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。
3イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。
8ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
9耳のある者は聞きなさい。」

(抜粋:1~9節)マタイによる福音書 13章1節~23節

原稿のアイコンメッセージ

ある人が畑に種を蒔くところから譬え話は始まります。この人が蒔く「種」とは、神の言葉を表しています。さらに、その種を受け入れる土地が4種類出てきますが、この畑の「土地」とは、人の心を表しています。そしてその土地(すなわち人の心)の様子次第で、種が芽を出して実を結ぶことができるか、できないかが決まってくるのです。

前提として、どの土地にも御言葉の種は例外なく平等に蒔かれています。つまり、どんな人に対しても御言葉が同じように伝えられるのですが、受け止める人の心のあり方によって、実を結ぶかどうかの結果が変わってくるのです。

「道端」とは自分の考え以外は受け付けない、心が頑なな状態の人のことです。道端とは人が通って踏み固められた固い土地です。頑ななのです。なぜならその人は自分の考えや経験によって踏み固められていて、御言葉の種を弾いてしまうからです。そうなると悪いものが来て心の中に蒔かれたものを奪い取ってしまいます。へりくだって柔らかな心で御言葉を聞くことが求められています。

「石だらけのところ」とは、今度は薄いものの土がある土地です。土がありますから、種は芽を出すことができます。けれども風が吹けば土ごと吹き飛ばされてしまったり、土の層が浅いので、すぐに枯れてしまいます。その心の状態とは、御言葉を聞いて喜んで受け入れるものの、根付いておらず、困難が起こるとすぐに躓いてしまう場合です。御言葉を人生の土台にして、表面的な信仰に終わらないように祈る生活が求められています。

「茨」の土地とは、信仰をもつことはできるけれども、信仰を塞いでしまう誘惑に躓いてしまう人の心を言い表しています。私たちの周りには、いろいろな心配事があります。仕事の悩み、家庭の悩み、人間関係、学校、あらゆることが心配になり、心を支配してしまいます。そうなると、芽を出した信仰が妨げられて、成長できなくなってしまうのです。イエス様は、そのような私たちに対して「思い悩んではならない」と言っておられます。

では、良い土地とは一体何なのでしょうか。どのような心のあり方のことを言っているのでしょうか。先ほどの実を結ぶことのできなかった土地のことを思い起こすならば、「固められておらず」「石がなく」「茨がない」姿、これが御言葉を素直に受け入れ、根付かせ、成長させる良い土地だという結論に至ります。それを踏まえて、良い土地を端的に言い表すならば「余計なものが何もない、ただ土ばかりの土地」だということです。

ですから、必要なことはその心に特別なものを付け加えることではありません。むしろ取り除くことです。私たちの心にある道端のような頑なさや、茨のような思い煩いを取り除いて、何もない柔らかい心で耳を傾けることです。そのとき、神の言葉は豊かに実を結び、何倍でも何十倍でも何百倍でも成長していきます。