2023年05月21日「ヨナのしるし」
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ヨナのしるし
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 12章38節~45節
聖書の言葉
38すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。
39イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
40つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。
41ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。
(抜粋:38~41節)マタイによる福音書 12章38節~45節
メッセージ
今日イエス様は「ヨナのしるし」が与えられると言います。私たちが信じることのできるために神様が与えておられるしるしが「ヨナのしるし」です。先に結論から言うと、ここでイエス様の言う「ヨナのしるし」とは、ご自身の十字架と復活のことです。イエス・キリストの十字架と復活こそ、神様が私たちに示してくださる、信じるための「何よりの証拠」なのです。
ヨナの物語(旧約聖書:「ヨナ書」1~2章参照)では、巨大な魚の腹の中で三日間を過ごしたヨナのことが記されています。誰もが「ヨナは死んでしまった」と思いましたが、神様はヨナを地上に吐き出させ、命をお与えになりました。同じように、イエス様もやがて三日間大地の中にいて、絶対に死んだはずなのに、死人の中から復活する、という奇跡が起こります。イエスの十字架と復活です。この奇跡が、人々を「イエスこそ、神の御子・救い主だ」と信じさせるのです。
預言者ヨナは、最終的にはニネヴェの町で神の言葉を告げ知らせます(ヨナ書3章)。そして、ニネヴェの人たちは、ヨナの説教を聞いて、即座に悔い改めて主に立ち返りました。ヨナは、目に見える奇跡については、何一つ行うことをしませんでしたが、それでも、このとき与えられた神の言葉は、ニネヴェの人たちを悔い改めに導くには十分でした。
イエス様は、「ここに、ヨナにまさるものがある」と仰せになります(41節)。これはイエス様ご自身のことです。なぜなら、イエス・キリストは神の言葉そのものであり(ヨハネ1章)、イエス様が語る言葉は、ヨナの説教にまさって神の真理を告げ、さらに奇跡を伴うものであったからです。しかし、イエス様に敵対するファリサイ派や律法学者たちは受け入れようとしません。信じるために神様が与えてくださる「しるし」は、イエス・キリストご自身であり、彼らにはその「しるし」がもう十分に与えられていたにもかかわらず、イエス様を取り囲む敵対者たちは、それらを見ても聞いても悔い改めないのです。
私たちも、「何か奇跡的な体験がないと、神を信じられない」と考えてしまうことがあるのだと思います。確かに、人にはできないことも、神様にはおできになりますから、個人的な体験の中で「これは奇跡だ!」と言えるような出来事があるなら、それ自体は幸いなことです。けれども、「奇跡」と呼べる体験が繰り返されなければ「神を信じることができない」と言うのならば、それは私たちが神様を試すことであり、その心の態度が、明確に示されているイエス・キリストの御業を見えなくしてしまいます。
私たちには、今、イエス・キリストの十字架と復活を告げ知らせる神の言葉、聖書の御言葉が与えられています。私たちは、ニネヴェの人たちが説教を聞いて悔い改めたように、謙遜に、御言葉に耳を傾ける必要があります。そこで、イエス様の十字架と復活を告げ知らせる神の言葉を聞くのです。私たちが神様を信じることができるような「しるし」は、御言葉の中に詰まっているからです。