2023年05月14日「言葉の結ぶ実」
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言葉の結ぶ実
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 12章33節~37節
聖書の言葉
33「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。
34蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。
35善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。
36言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。
37あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」マタイによる福音書 12章33節~37節
メッセージ
聖霊の働きを「悪霊だ」と言ったファリサイ派の人々の悪意ある発言をきっかけにして、イエス様は、人の心と言葉の関係について教えておられます。「木とその実のたとえ」(33節)も、「倉」のたとえ(35節)も、心の態度によって、私たちの語る言葉が決まってくることを言い表しています。ファリサイ派の人々が聖霊を冒涜する言葉を発したのは、これは悪い心から出てくるものであって、その悪い言葉は、結ぶべくして結んだ実であり、悪い倉から嫌でも出てくる悪い言葉だったのです。それは決して「心にもないこと」がふと顔を出してしまったという言葉ではなくて、「どのようにしてイエスを殺そうかと相談した(14節)」という彼らの心が、正直に顔を出したものだったわけです。
イエス様が言われる通り、神の力を意図的に悪いものにかえてしまう彼らの言葉は、無益な言葉であり、彼らの心の中から溢れ出たものです。このような自分の言葉に対する責任は重大だということを、イエス様は教えておられます。
では、私たちは積極的には、どのような言葉を語ればよいのでしょうか。 ある注解者(ウルリッヒ・ルツ)は、「つまらない」言葉とは、「愛の業を生み出すことのないような言葉」だと言います。反対に「良い」言葉とは、私たちのうちに愛を育むような言葉だということです。…これは、ひとつの答えだと思います。確かに、私たち人間は、神様に特別な配慮をいただいて神のかたちに造られました。愛である神様の姿にならって、愛によって生きる存在であり、そうすることが神様の御心であることは確かです。
しかし、これだけでは私たちはどうしたらよいのかわからなくなるのだと思います。私たちだって、できることなら互いに愛の関係を育むような、人との関係を破壊する言葉ではなく、建てあげる言葉を話したいと思うものです。けれども、多くの人は心のうちにある悪い思いを口にしてしまったことがあるのではないでしょうか。人を悪く言ってしまうことや、怒りに身を任せて暴力的になってしまうこと、あるいは気が付かずに誰かを傷つけてしまうこと…そういった言葉によって人を傷つけてしまうことがあります。自分の言葉を振り返って考えたときに、避けようのない罪を思わずにはいられなくなるものです。
イエス様が求めておられることは、善い心から善い言葉が出てくるという、私たちのまっすぐな姿です。そして、私たちがそうあるためには、根本的な人の心が変わらないといけないのです。私たちは自分で自分を変えることは難しいのですが、私たちを実質的に変えてくださる方こそ、実は聖霊なる神様なのです。聖霊こそ、私たちを内側から変えてくださって、御言葉に対して素直に聞き従う柔らかな心を与えてくださいます。そうして御言葉に素直に聞き従う心をもって互いに言葉を交わすとき、そこに神様の祝福が現れてくるのです。それができるように、聖霊によって心と共に言葉をきよめていただくように祈ることが、まず私たちに必要なことではないか、と思うのです。