2023年04月16日「安息日の癒し」
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安息日の癒し
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 12章9節~21節
聖書の言葉
9イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。
10すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。
11そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。
12人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」
13そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。
14ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。
(9〜14節)マタイによる福音書 12章9節~21節
メッセージ
イエス様は安息日に会堂に入られました。ここに、一人の「片手の萎えた人がいた」と書かれています。具体的な症状はわかりませんが、片手が動かなくなっていたのです。この人も、片手が自由にならない障害を抱えてあっても神様を礼拝するために会堂にやってきました。このように、神様の前にはどのような弱さを持った人も出ることができます。ところが、ファリサイ派の人々は、イエス様のことをよく思わないばかりに、片手の萎えた人を見ると、イエス様を訴えるのにこの人を利用します。「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」。彼らは、そう尋ねながら、心の内では「安息日に人を癒すことはできない」という冷たい結論を抱いて、イエス様を試そうとしています。
イエス様は「穴に落ちた羊」を例に出して答えます。この場合、たとえ安息日であったも緊急な出来事として、落ちた羊を引き上げるものです。安息日だからと言って羊を見捨てるのではなくて、救い出すことは、罪にならない。ここまでは、ファリサイ派の人々も認めているところでした。イエス様は加えて、「人間は羊よりもはるかに大切なものだ」と仰います。なぜなら、人間は神のかたちに造られた存在であって、その意味で他のどんな動物よりも神様から特別な配慮をもって創造された存在だからです。「安息日に羊を救い出すならば、まして神のかたちである人間の場合はなおさら助けるのが当然ではないか」と仰るのです。
イエス様は、一人の苦しんでいた人を癒し、その苦しみから解放されました。会堂で、しかも礼拝の最中に、神様の驚くべき御業を見せてくださいました。けれども、ファリサイ派の人々は、癒やされた人のことなど頭にありません。彼らはただ、「ついにイエスは安息日を公然と破った」という、そのことだけが問題でありました。そして、「イエスを殺そう」という思いが、ここではっきりと現れます。イエス様を十字架の死へと追いやっていくユダヤ人たちの最初の一歩がここに記されたわけです。
そもそも律法の規定は、人を生かすためのものです。堕落によって悲惨に満ちたこの世界で、神様の御心を知り、まっすぐに生きるための指針です。そこには、人が、神様と共に生きて祝福をいただくという積極的な意味があります。ファリサイ派の人々は、これを見失っていたという点で、その律法理解が歪んでいたと言わなければなりません。
神様は、私たち罪人にわかるように、具体的にあれこれと命じておられますが、その本質は、イエス様が教えてくださったように、神様と隣人を愛して生きることです。その積極的な意味に目を向けるなら、安息日に手の萎えた人が癒やされることが「善いこと」であると、ただちに理解されるはずです。
イエス様はこのために、この地上に人となられたのであり、「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)と言って、私たちすべての人を、ご自分のみもとに招いておられるのです。