2023年04月09日「主イエスの問いかけ」
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主イエスの問いかけ
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
ヨハネによる福音書 21章15節~19節
聖書の言葉
15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。ヨハネによる福音書 21章15節~19節
メッセージ
今日の御言葉は、「食事が終わると」という場面から始まっています(15節)。この食事は、復活の主イエスが、弟子たちを招いてくださったものです(「さあ、来て、朝の食事をしなさい」12節)。今、イエス・キリストは十字架の死にとどまることをされず、復活して生きておられます。生きてご自分の食卓へと招いてくださり、ご自分との交わりの中に私たちを置いてくださるのです。
この食事が終わった後、イエス様はペトロに三度にわたって、繰り返し、ひとつの問いかけを投げかけておられます。それは「わたしを愛しているか」という問いかけでした(15節、16節、17節)。
イエス様が同じ問いを三度繰り返しているのは、先週読みましたように、やはりペトロが三度にわたってイエス様を否定したことと関係があるでしょう(ルカ22:54以下など)。ペトロは三度繰り返してイエス様を裏切りました。イエス様は、同じ問いを三度繰り返すことによって、かつての裏切りをひとつひとつお赦しになって、ご自身とペトロとの関係を回復させてくださったのです。
今や、イエス様がペトロに特別なご配慮をもって、その罪をひとつひとつお赦しになりました。イエス様のことを三度「知らない」と言ってしまったペトロは今や、三度イエス様を「愛しています」と言うことによって、真心からイエス様を愛し、従っていく弟子として新しく生きることができるようになったのです。ここには、イエス様の赦しが完全である、という真理が豊かに示されています。
ところで、三度目にイエス様が「わたしを愛しているか」と問いかけたとき、ペトロは「悲しく」なりました(17節)。なぜ、彼は悲しくなったのでしょうか。すべてをご存じの主イエスが、3回も繰り返して「わたしを愛しているか」と問われました。そのとき、ペトロは、かつて自分が3回もイエス様を否定したことを思い起こしたに違いありません。
つまり、ペトロは自分の罪を知ったのです。主に対する罪を自覚したゆえに心に痛みを抱いたのです。同時に、罪を自覚して心から悔い改めたとき、ペトロはイエス様の赦しを心の底から味わい知ったはずです。罪深い自分を赦して、立ち直ることを信じてくださるイエス様の愛を味わい知ったのです。
今日、私たちに告げられていることは、私たちもまた、キリストの愛のうちに甦るように招かれている、ということです。私たちは、いざというときに脆く崩れ去ってしまう自分を頼るのではなくて、私たちを赦し、生かし、用いてくださる主イエスに頼るように、「わたしに従うように」と招かれています。
私たちは、ただイエス・キリストの十字架による罪の赦しと、復活の命の恵みに生かされている者です。私たちの内側に何かよいものがあるのではありません。ただキリストの愛のうちに新しい命が与えられています。そのことを本当に受け止めて、真心からイエス・キリストの御心に自分自身を委ねていくなら、私たちのうちに与えられた豊かな命が、喜びが、祝福が、実を結ぶのです。