2023年02月19日「受け入れる人の報い」
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受け入れる人の報い
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 10章40節~11章1節
聖書の言葉
40「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。
41預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。
42はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
(10章40~42節)マタイによる福音書 10章40節~11章1節
メッセージ
キリストの弟子たちは、イエス・キリストによってこの世に派遣されていきます。伝道に出かけていきます。そのとき、人が受け入れてくれるかどうか、という話が前回から続いていました。
イエス様はここで、「弟子を受け入れる人は、わたしイエスを受け入れ、ひいては父なる神様を受け入れることになるのだ」と仰せになります(40節)。「弟子を受け入れることは、イエス様を受け入れるのと同じことだ」。さらに、「そうやってイエス様を受け入れることは、父なる神様を受け入れることだ」。そして、「受け入れる人は同じ報いを受けるのだ」と言っておられるのです。これはすごいことです。イエス様の弟子であるキリスト者と、イエス様そのお方と、そして父なる神様のことが一体的な存在として描かれているのです。
私たちが向かって行った先で、私たちを受け入れてくれる人は、イエス様を受け入れ、そしてイエス様を遣わされた父なる神様をも受け入れることになる。これは大きな励ましだと思います。私たちの家族や隣人が、私たちのことを受け入れてくれたとき、また支えてくれたとき、そのことに関して、イエス様はそれを「ご自身にしてくれたこと」と言ってくださり、その隣人や家族を報いてくださるのです。イエス様はそうやって本当に多くの人に、私たちの家族や隣人に、ご自身の恵みを届けたいと願ってくださるのです。そういう思いをもって私たちを派遣してくださることは、たとえ迫害下にあっても、私たちにとってこれは大きな慰めと励ましになるのではないでしょうか。
今日の御言葉は、前回の御言葉と繋がっているのだと思います。前回は34節で「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」と言われまして、特に隣人関係との「分裂」が語られたのでした。確かに、イエス様の剣は、神様との関係を抜きにした手軽にもたらされようとする平和、偽りの平和を切り裂いて分裂をもたらします。けれども、同時に分裂してそれで終わりではない、と教えられました。
その文脈に照らし合わせるならば、今日イエス様が語っておられることは、神様との関係に基づいた、私たちと隣人との関係性の再構築だと申し上げることができます。本当は、キリストの剣は、私たちや私たちの隣人の命を奪うためにもたらされるものではありません。私たちの命を滅びに定めている罪を断ち切るための剣です。神様の御言葉に本当に心開かれて、罪に定められた命が死んだときに、蘇りの新しい命が動き始めます。そのために私達の救い主イエス・キリストは、十字架を背負って死なれ、しかし死を克服して復活してくださったのです。
私たちが隣人のもとでキリストを証しすることは、単に聖書の教えを広めるというだけのことではなくて、隣人との絆を、真実の平和に基づいて回復していく営みです。そういう視野をもって私たちがこの世に派遣されていくなら、今日の御言葉は、ますます豊かに意味をもつのではないでしょうか。