2023年01月08日「収穫のための働き手たち」
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収穫のための働き手たち
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 9章35節~10章4節
聖書の言葉
35イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
36また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
37そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
38だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
(9章35~38節)マタイによる福音書 9章35節~10章4節
メッセージ
9章35節以下の段落は、これまでのイエス様のお働きに関する「まとめ」であると同時に、10章以降の「導入」としての意味をもっています。
イエス様は、神の国の福音を宣べ伝えるにあたって、人々が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている姿をご覧になり、深く憐れまれました(36節)。
教会の福音宣教の動機はここにあります。今のこの時代においても、私たちは、人生を養い導くまことの羊飼いである主イエス・キリストを必要としています。イエス・キリストと出会い、ここに憩うように人を招くことが私たちの福音宣教の主要な動機・目的なのです。
イエス様は、人々を救いへと招くため、「収穫の主に」、父なる神様に祈るように弟子たちを励まされました(38節)。土地を耕したり、種を植えたりするのは人でありますが、収穫させてくださるのは神様だからです。「働き手を送ってくださるように」祈りなさい、とイエス様は言われたわけですが、送ってくださるのは神様です。こういう何気ない言葉の中にも、収穫という働きの主導権をもって、導いておられるのが神様であることがわかります。そうだからこそ、私たちは福音宣教にあたって、これを導いてくださる神様に祈ることの大切さが教えられているのです。その意味で、祈りこそ福音宣教を推し進めていく原動力です。
私たちの生きる今の時代、キリスト教会で群れを養う働きをするのは通常は牧師とされています。「牧師」という名前がその働きを言い表しています。確かに牧師の務めは多岐に渡りますが、その本質は、御言葉をもって群れを霊的に養うことです。しかし実際に収穫に携わるのは、牧師のような一部の人だけではありません。教会に連なる全員の営みです。私たちは、それぞれ自分に与えられた賜物に従って、それぞれ最善を尽くして教会生活を送っています。「働き手を送ってください」と祈ることは、そのような神の民として生きる私たち一人一人の営みが豊かに実を結ぶように、そしてこの群れに加わる方が益々起こされるようにと祈り求めることをも意味しています。こうした私たちの営みを豊かに育んで、実を結ばせ、収穫を得させてくださるのは収穫の主である神様です。主に期待して祈ること。それが、私たちの福音宣教にとって何よりの力になるのです。
キリスト教会に連なる人の数は、統計上では減少傾向にあります。そのことを深く受け止めて、私たちの営みを絶えず省みることは必要なことだと思います。その上で、私たちの福音宣教の動機がどこにあるのか、その目的は何か、何によって力をいただくのか、それらの福音宣教の前提となることを間違えてはなりません。
私たちの目的は、教会を大きくすることではありません。もちろんそれは結果として願ってよいことですが、それが主要な動機、目的なのではありません。弱り果てて打ちひしがれている、救いを必要としている方々が、主イエス・キリストに出会うこと。それが、私たちの福音宣教の主たる動機・目的なのです。