2023年01月01日「神の時に委ねて生きる」

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神の時に委ねて生きる

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
コヘレトの言葉 3章1節~17節

聖句のアイコン聖書の言葉

1何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

9人が労苦してみたところで何になろう。
10わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
11神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
(1節、9~11節)コヘレトの言葉 3章1節~17節

原稿のアイコンメッセージ

11節は、ヘブライ語には「美しい」という言葉が入っています。新共同訳の前の翻訳聖書である「口語訳聖書」ではこうなっています。

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」

コヘレトはこのように「神様のされることは、時にかなって美しい」と言うのです。これは、神様のなさる御業を肯定する言葉です。

私たちの人生には好ましくない時がある。それを承知の上で、それでも定められた「時」の背後に、全てのものをはなはだ良く造られた神様を仰ぎ見ているのです。

「時」「時間」というものは、私たち自身ではどうにもならないという実感が、私たちのうちにもあるのではないかと思います。人は、過ぎ去った時を掴むことができません。「あのときは良かったな」とと思っても、過去に戻ることはできません。追いかけて掴むことのできないものです。あるいは、これから起こることも正確に掴むことはできません。思いがけない出来事は、いくらでもあります。まことに、「時」というものは、神様の支配のもとにあるのです。

けれども、いや、だからこそと言うべきでしょうか。コヘレトは、今この瞬間を喜ぶ生き方が大切だと教えています。

私たちは全てを見極めることはできませんので、時として苦しむことがあるかもしれません。しかし、それでも、揺れ動く私たちを絶えず守り支える神様が共におられることは確かです。

私たちが経験する苦難も、失敗も、そこにはその出来事を通して私たちに何かを教えようとしておられる神様の御心があります。

その苦難の意味は、すぐにはわからないかもしれません。それでも、私たちが神の時に委ねるなら、神様が定めておられるご計画に身を委ねて今を懸命に生きるのであれば、そこに意味を与え、さらなる恵みを与えようとする神様の御心を見出すのです。

2023年はどのような1年になるのか。起こってくる出来事を全て見極めることは、今私たちにはできません。

あるいは、過去に起こった出来事を追いかけて「この時代に戻ろう」ということもできません。

けれども、神様は2023年の歩みを始めるにあたって、私たちひとりひとりを深く顧みて、「時」を備えておられます。

喜ばしいこともあれば、もしかしたら苦難もあるでしょう。私たちは、神様の時を尋ね求めながら、与えられている毎日を懸命に生きていきたいものです。そのとき、さらなる恵みを与えようとする神様の御心を見出すはずです。

イエス・キリストは、ご自身の到来によって、神の国が既にここに来ている喜びをもって、罪人たちと一緒に食事をされました。断食して罪を悲しんで塞ぎ込むのではなく、一緒に食事をして喜び祝ったのです。

私たちは、このようなイエス・キリストの「時」を生きています。それは、罪人たちの救いの時です。この1年に起こってくる出来事と向き合うにあたって、神様の支配のもとに生きている喜びをベースにして、あらゆる時を歩みましょう。