2022年12月18日「神の憐れみによる救い」
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神の憐れみによる救い
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
ルカによる福音書 1章57節~80節
聖書の言葉
57さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
58近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。
59八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。
60ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。
61しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、
62父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。
63父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。
64すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。
65近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。
66聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
(57〜66節)ルカによる福音書 1章57節~80節
メッセージ
今日の御言葉には救い主イエス・キリストの誕生に先立って、洗礼者ヨハネの誕生について記されています。洗礼者ヨハネが聖書の中で果たす役割とは、救い主イエス・キリストが通る道を備えることにあります。ここでは、救い主の誕生に先立って、その道備えがなされているのです。
ヨハネが生まれるということは、その両親にとっては大変なことでした。なぜなら父ザカリア・母エリサべとは共に高齢だったからです。ザカリアは、エルサレムの神殿で神様に仕える仕事をする人、すなわち祭司でした。その時、天使がザカリアの前に現れて、ザカリアとエリサベトの間に「子どもが生まれる。その子をヨハネと名づけなさい。」と伝えたのです。
ザカリアは天使のお告げを聞いたとき、すぐにその言葉を信じることができませんでした。歳をとった2人に子どもが生まれるなど、常識では考えられなかったからです。こうしてザカリアが信じられないのを見て、天使は「あなたは口が利けなくなり、この事が起こる日まで話すことができなくなる」と告げます(20節)。
しかしながら、信じられないザカリアの姿にかかわらず、神の言葉は実現します。その誕生の喜びが、今日の箇所には満たされています。
さて、幼子が誕生して八日目に、人々はこの幼子に、父親の名前をとって「ザカリア」と名づけようとしました。当時は親戚の名前をとって子どもにつけるのが通常だったからです(59節)。ところが、母エリサベトと父ザカリアは共に天使の言葉に従って「この子の名前はヨハネ」と主張しました(60節、63節)。母エリサベトと口の利けないザカリアが一致して「ヨハネ」と主張したことに人々は皆驚きます。
人々は父ザカリアに子どもの名前を尋ねる際、「手振り」で尋ねました。ということは、ザカリアはこのとき口が利けなかっただけでなく、恐らく耳も聞こえなかったであろうことがわかります。それは、ザカリアは自分の言葉を話すことができず、他人の言葉を聞くこともできなかったことを意味しています。
それはどういうことか。つまりザカリアは、天使のお告げから幼子の誕生までの間、天使が告げた神の言葉に集中して心を向けるしかなかったということです。ザカリアが幼子にヨハネと名付けたとき、彼は口が開き、舌がほどけ、神様を賛美し始めました。神の言葉に集中して、その言葉に真剣に耳を傾けたとき、人は神を賛美し始めるのです。
私たちは、浮かんでくる自分の言葉で頭がいっぱいになるとき、神がなさる御業に心を向けることがなかなかできません。神様はヨハネの誕生を通して、救いの道を備えようとしているのに、私たちは常識にとらわれて、「そんなことが起こるはずがない」と思ってしまうものです。けれども、神の言葉に真剣に耳を傾けて、その言葉が本当に自分に語られているとわかったとき、私たちは神のなさるご計画に参与し、その素晴らしさがわかるのです。