2022年10月23日「罪人を招くイエス・キリスト」
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罪人を招くイエス・キリスト
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 9章9節~13節
聖書の言葉
9イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
10イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
11ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」マタイによる福音書 9章9節~13節
メッセージ
イエス様がカファルナウムの町を歩いておられると、通りがかりに、マタイという人物が座っているのをご覧になりました。イエス様はこのマタイに対して「わたしに従いなさい」と声をおかけになり、その声を聞いて、マタイは立ち上がってイエス様に従ったのです。かつて漁師ペトロたちも聞いた「わたしに従いなさい」との声を、マタイもまた同じように聞いて、ペトロたちが「網を捨てて」従ったのと同じように、マタイも仕事場であった収税所を後にして、イエス様に従ったのでした。
イエス様は、罪を悔い改め、神様のみもとで歩み始めたマタイたちと食事をされました。食事を共にするとは、ユダヤ人の文化から言えば、親しい交わりをもつことを意味しています。イエス様は罪人たちを分け隔てなくご自分の友として、親しく交わりをもってくださるお方です。他の人々からどう見られるのかを一切考慮せずに、人々から嫌われ、蔑まれていた徴税人や罪人たちのところにイエス様の方からきてくださって、ご自身との交わりに入れてくださるのです。
それはマタイをはじめとする罪人たちにとって、新しい生き方へと導く恵みの招きだと言うことができるでしょう。もし彼らがイエス様と出会うことなく罪の生活の中に座り込み、この世の流れの中に流されていたら、それは生きていても死んだようなものです。ちょうど悪霊に取り憑かれた人が墓場に住んでいたのと同じように、孤独に人を傷つけ、傷つけられるしかない、まことに悲しくて苦しい歩みが続いていたことでしょう。その行き着く先は死と滅びです。けれども、主イエスの言葉が、その現実を変えて、死んだようになっていた人を再び立ち上がらせたのです。罪の中で死んだようになっていた人が命へと甦らされたのです。その意味で、以前に見た悪霊に取り憑かれた人が正常に回復したことと、今日の御言葉は本質的に同じことを語っているものと言うことができます。
悪霊に取り憑かれた人を癒やされた記事では、悪霊の支配に対する主イエスの御言葉の権威と力が示されていました。主イエスの言葉が、私たちを立ち上がらせる。主イエスの御言葉が、私たちを命ある道へと、甦らせてくださる。主イエスの御言葉によって、このときだけでなく今も、私たちは、神様のみもとで、喜びに満たされて生きるように招かれているのです。
なぜ、主はこのように罪人を招いてくださるのでしょう。神様は、別に人間の罪そのものを良しとしておられるわけではありません。マタイたち徴税人は、自分が金銭的に豊かになるために、他人から奪って生きていました。そのこと自体が良しとされるわけではありません。けれども、彼らは罪の中で病的状態にあって、神様の前から失われたものでありました。ただ、そのことゆえに、神様は彼らを憐れんで悔い改めに導いてくださるのです。ちょうど病人が医者を必要とするように、罪人が魂の救いを必要とするゆえに、イエス・キリストが魂の医者として来てくださるのです。