聖書の言葉 13「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 14しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」マタイによる福音書 7章13節~14節 メッセージ イエス様は二つの門、二つの道をお示しになった上で、「命に通じる狭い門から入りなさい」とお命じになりました。はっきりとした口調で「こちらを選びなさい」とお語りになりました。私たちの人生には重大な決断を迫られる場面がいくつかあります。受験や就職、結婚といった大きな分かれ道が存在します。それらは人生に大きな影響を与える大変重要な選択であることはもちろん承知の上ですが、その上で、イエス・キリストのこの呼びかけは、それらに優って大切なものです。なぜなら、この地上の生涯だけでなく、永遠に至る命か滅びかの選択を迫るものだからです。「あなたはどちらの道を選び取りますか」「滅びに通じる広い門、広々とした道ですか。それとも、命に通じる狭い門、細い道ですか」…イエス様は私たちに問いかけておられます。 人生の歩みに対して、たった二つの選択肢しか与えられていないことに戸惑うかもしれません。「人生にはこの二つの道しかないのですか」「曖昧にしたままではダメですか」「決断しなければなりませんか」と思われるかもしれません。もちろん私たちの人生の歩み方には様々な違いや多様性があってよいものですが、ことに「生と死」に関わる根本的なところでは、イエス様が問いかけるように二択で、はっきりしているのです。 イエス様は「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる(ヨハネによる福音書10:9)」と言われました。また、「わたしは道であり、真理であり、命である(ヨハネによる福音書14:6)」とも言われました。 イエス様ご自身がお語りになったように、イエス様こそがまことの門であり、まことの道です。イエス様を通って入る者は命に至るのです。イエス様は私たちを生かしてくださるお方だからです。私たちは、心低くしてイエス・キリストを救い主と信じ、イエス・キリストに従って歩みたいと願います。その道は見いだす人は少なく、信じて歩む道は簡単ではないかもしれませんが、神様は私たちが滅びに向かうことを決して願っておられず、私たちが本当に主を信じてこの道を行くとき、心から喜んでくださいます。 そしてもう一つ忘れてはならないことは、私たちが招かれているこの道は、主イエス・キリストご自身が、既に私たちのために歩いてくださった道だということです。イエス様は私たちのために、神様の御心に適った細い道を歩んでくださいました。その行き着く先は、全ての人から見捨てられ、罵られ、苦しみを背負う十字架の死でした。それはみじめで、人々から軽蔑され捨てられる歩みでした。しかしその道こそ、復活の命に通じる道であったのです。 イエス様はご自分が歩まれた道から「こちらに来てみなさい」と私たちを招いておられます。この主イエス・キリストのみ声を聞いて、心から信じて歩み出して行きましょう。その先には、この山上の説教で約束された祝福と幸いが確かにあります。
イエス様は二つの門、二つの道をお示しになった上で、「命に通じる狭い門から入りなさい」とお命じになりました。はっきりとした口調で「こちらを選びなさい」とお語りになりました。私たちの人生には重大な決断を迫られる場面がいくつかあります。受験や就職、結婚といった大きな分かれ道が存在します。それらは人生に大きな影響を与える大変重要な選択であることはもちろん承知の上ですが、その上で、イエス・キリストのこの呼びかけは、それらに優って大切なものです。なぜなら、この地上の生涯だけでなく、永遠に至る命か滅びかの選択を迫るものだからです。「あなたはどちらの道を選び取りますか」「滅びに通じる広い門、広々とした道ですか。それとも、命に通じる狭い門、細い道ですか」…イエス様は私たちに問いかけておられます。
人生の歩みに対して、たった二つの選択肢しか与えられていないことに戸惑うかもしれません。「人生にはこの二つの道しかないのですか」「曖昧にしたままではダメですか」「決断しなければなりませんか」と思われるかもしれません。もちろん私たちの人生の歩み方には様々な違いや多様性があってよいものですが、ことに「生と死」に関わる根本的なところでは、イエス様が問いかけるように二択で、はっきりしているのです。
イエス様は「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる(ヨハネによる福音書10:9)」と言われました。また、「わたしは道であり、真理であり、命である(ヨハネによる福音書14:6)」とも言われました。
イエス様ご自身がお語りになったように、イエス様こそがまことの門であり、まことの道です。イエス様を通って入る者は命に至るのです。イエス様は私たちを生かしてくださるお方だからです。私たちは、心低くしてイエス・キリストを救い主と信じ、イエス・キリストに従って歩みたいと願います。その道は見いだす人は少なく、信じて歩む道は簡単ではないかもしれませんが、神様は私たちが滅びに向かうことを決して願っておられず、私たちが本当に主を信じてこの道を行くとき、心から喜んでくださいます。
そしてもう一つ忘れてはならないことは、私たちが招かれているこの道は、主イエス・キリストご自身が、既に私たちのために歩いてくださった道だということです。イエス様は私たちのために、神様の御心に適った細い道を歩んでくださいました。その行き着く先は、全ての人から見捨てられ、罵られ、苦しみを背負う十字架の死でした。それはみじめで、人々から軽蔑され捨てられる歩みでした。しかしその道こそ、復活の命に通じる道であったのです。
イエス様はご自分が歩まれた道から「こちらに来てみなさい」と私たちを招いておられます。この主イエス・キリストのみ声を聞いて、心から信じて歩み出して行きましょう。その先には、この山上の説教で約束された祝福と幸いが確かにあります。