2022年06月19日「天に富を積みなさい」
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天に富を積みなさい
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 6章19節~24節
聖書の言葉
19「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
20富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
21あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
22「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
23濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
24「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」マタイによる福音書 6章19節~24節
メッセージ
19節で、イエス様は「あなたがたは地上に富を積んではならない」と言われます。これは、人がこの地上でどのような歩みをするべきなのか、要するに人生の指針を語るものだと申し上げることができます。人は、消え去ってしまう地上に富を積み上げるのではなく、永遠に続く天に富を積む歩みをするものだ、と言っておられるのです。
天に富を積むことが大切だと言われている理由は、単に地上のものが脆く儚いから、というだけではありません。富のあるところに、その人の心もあるからです(21節)。人は、富を積んでいるところに心を寄せ、心を寄せている場所に富を積もうとするものです。富や財産は、ある面で私たちの生活を支えるものですから、その財産を置いている場所に心が向かうのは、それ自体は理解できることなのかもしれません。それなら、財産のあるところに心があるのなら、じゃあ、その財産をどこに蓄積するのか、という話になるのです。
イエス様は、富との関係で、私たちの心がどこにあるのかを問いかけておられます。イエス様は、「神」と「富」の両方を主人にしてこれにお仕えすることはできない、と言われました(24節)。神様に仕えているなら、富に固執することがありませんし、富に固執してしまうと、神様のことが見えなくなってしまう、と言うのです。
ではイエス様は、この世で積極的に働いて金銭を得ることを否定しておられるのでしょうか。私たちが自分達の富を積むことそのものを否定しておられるのでしょうか。そうではありません。
私たちが所有する富には、いろいろあると思います。私たちが自分で働いて手に入れた財産があるでしょうし、あるいは親から譲り受けて所有しているものかもしれませんし、ひたすら努力して得られた社会的地位があるかもしれません。それらを所有することそれ自体が悪いことなのではありません。
問題は、富を蓄える場所、富の所在です。信仰者は、自分達が所有する富もまた、神様の御手のうちにあり、神様によって与えられているものと受け止めます。神様が、必要に応じて、私たちに地上の富や財産、環境や社会的地位をも与えてくださるのです。ですから私たちはむしろ、この地上において与えられているモノを、賢く管理するように召されています。決して富を絶対視することなく、与えられているモノを相応しく用いながら、神様にお仕えしていくのです。
私たちがお仕えする主はイエス・キリストただお一人です。主イエス・キリストの御旨に従って、与えられているモノを用いて生きるように召されています。地上の富に過度の信頼を寄せるのではなく、神様に信頼して歩むのです。私たちが最終的に受け取る報いは、天にあります。それは、神様が約束しておられる神の国ということですが、その神様の大いなる祝福に優って大切なものは、この地上にはどこにもないからです。