2022年05月22日「祈るときには②」

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聖句のアイコン聖書の言葉

9だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
10御国が来ますように。
御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
11わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
12わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を
赦しましたように。
13わたしたちを誘惑に遭わせず、
悪い者から救ってください。』
14もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。 15しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」マタイによる福音書 6章9節~15節

原稿のアイコンメッセージ

キリスト者の祈りとは、突き詰めれば神様との一対一の関係で、ひとり静まって父なる神様に祈るものです。そのとき、たとえ私たちがうまく言葉を紡げなかったとしても、それによって祈りの質が変わってしまうことはありません。神様はすべてをご存知であって、私たちがこれから祈ろうとすることもわかっておられるからです。その意味では、私たちは「聞いてもらえないのではないか」と思ってくどくど述べる必要はありませんし、安心して、神様に親しく語りかけることが許されています。

 ただ、私たちの信仰生活には、公の場で祈る機会もあります。例えば「祈祷会」などがすぐに思い浮かびますが、そのときに、「言葉を整える」こともまた大切なことです。というのは、祈る人にとっても、一緒に祈る他の人にとっても、それが信仰を養う力になるからです。そのときイエス様が教えてくださった9節以下の祈りの言葉、すなわち今日で言う「主の祈り」から学び取ることには、大きな意味があります。

 主の祈りはまず「天におられる私たちの父よ」と呼びかけます。天からこの地上のすべての必要を見渡しておられる神様に向かって、「私たちのお父さま」と親しく呼びかけます。イエス様ご自身も、祈るときには「アッバ、父よ」と呼びかけて祈られました(マルコ14:36)。「アッバ」とは元来、幼い子どもが父親を呼ぶ親しい呼びかけの言葉です。イエス様は神様にそう呼びかけることのできる、神の独り子です。イエス様はしかし、父なる神様との親密な関係を独占しようとはされず、神様との親しさを分かち合い、私たちが同じように祈ることができるように、私たちの罪を贖ってくださいました。それゆえ、私たちもまた、イエス様を通して、神様に「アッバ、父よ」呼びかける幸いが与えられています。

 主の祈りの言葉は、神様に親しく呼びかけたあと、具体的な願いの言葉に移っていきます。そのとき、イエス様が「まず祈りなさい」と求めておられるころは、祈るその人自身のことではなく、神様とそのご栄光を願い求める祈りでした(9節後半-10節)。

 イエス様が模範・規準として教えてくださった主の祈りにおいて、まず求められたことは、神さまを賛美することでした。

私たちが神様を賛美するのは、堕落した私たちを、神さまが御子イエス・キリストを通して贖って、「わが子」としてくださった、その恵みのゆえです。それゆえ、神様を賛美するということは、神さまが私たちを愛してくださり、私たちの父となってくださったことへの「感謝」をささげることを意味しています。主の祈りには直接「感謝」という言葉は出てきませんが、しかし祈りとはそもそも、罪の赦しによって救いの道を開いてくださった神様への「感謝」が土台にあることは言うまでもありません。その感謝に押し出されて言葉を紡ぐとき、私たちの祈りの言葉は、自ずと神様に対する賛美へと向かっていくのではないでしょうか。