2022年04月24日「真実な神の前で」

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聖句のアイコン聖書の言葉

33「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。
34しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
35地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。
36また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。
37あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」マタイによる福音書 5章33節~37節

原稿のアイコンメッセージ

イエス様は「偽りの誓いを立てるな。主に誓ったことは必ず果たせ」との旧約の律法に対して「しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない」と言っておられます。

けれども、これまでもそうであったように、イエス様は旧約の律法が間違っていると言いたいわけではありません。

イエス様がここで問題とされているのは、旧約の律法を自分達の都合の良いように解釈し、歪めて、人々に教えていた当時のユダヤ人指導者たちです。

 レビ記19:12や、申命記23:22を見ると、「神の名を用いて誓ったならば、必ず果たしなさい。そうしないと罪に問われる」と記されています。神の名を乱用して汚すことになるからです。

ユダヤ人たちは、「主の名をみだりに唱えてはならない」という、十戒の第3の戒めをよく知っていましたので、神様の名前を直接使うことの重さを知っていました。

そこで、ある人たちは誓いをなす際に、神の名の代わりに「天に賭けて誓う」「地に賭けて誓う」「エルサレムに賭けて誓う」「私の頭にかけて誓う」といった具合に、別のものを持ち出して誓うことを始めました。

これは一見神の名を敬う態度に見えますが、実際のところは軽はずみに誓いを立てても罪に定められないようにするための逃げ道となっていたのです。

イエス様はこれに対して、「天も地も、エルサレムも、あなたの頭も、そこは神様が支配される領域ではないか。だから、あなたがたの誓いは、結局神の名を持ち出しているのとかわりないではないか」と鋭く指摘しているのです。

イエス様は、ユダヤ人指導者たちの軽率な誓いの言葉に対して、言葉の真実を求めておられます。

37節「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

「然り、然り」「否、否」とは、「はい」を「はい」として「いいえ」を「いいえ」としなさいということです。もう少しわかりやすく言うと、正しいことには正しいと言う。そして間違っていることには間違っていると言う。つまり、常に真実を語りなさいということです。

たとえ誓わなかったとしても、言葉に責任をもつことを求めておられるのです。

「誓いを立てているかどうかに関係なく、真実を語りなさい。どんなときでも言葉に偽りがあってはならない」。イエス様はそう言って、神様と隣人に対して誠実であることを求めておられるのです。

ですからイエス様は何も誓いそのものを禁じておられるのではありません。いつだって真実な言葉を語りなさいと言っておられるのです。

私たちに言葉を与え、それによって生かしてくださるのは神様です。神様は、私たちに対して誠実で、言葉に対して真実であられます。御子イエス・キリストの御業を見つめるならば、神様がどれほど誠実に、約束に対して真実に臨んでおられるかがわかります。人間の不誠実に対して、神様がどれほど誠実であったかがよくわかります。神様は、御子イエス・キリストの恵みを通して、私たちに言葉の真実への道を開いてくださったのです。