2022年04月03日「家庭の祝福のために」
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家庭の祝福のために
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 5章27節~32節
聖書の言葉
27「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
28しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
29もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
30もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」
31「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。
32しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」マタイによる福音書 5章27節~32節
メッセージ
姦淫とは性的不品行のことです。モーセの律法によれば、姦淫とは死にあたる罪でした。レビ記20章10節に次のようにあります。
「 人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。」
これは、そもそも結婚という制度がどのようなものであるのかを考えてみるとよくわかります。結婚は天地創造のはじめから神様が人間に与えてくださった祝福です。「人がひとりでいるのはよくない」神様がそうおっしゃって、神様がその二人をひとりの人のように結び合せてくださった祝福なのです。姦淫は、神様が結び合わせられて一体となった夫婦関係に対して暴力を働く行為です。それゆえ、殺人に等しい罪として定められているのです。神様が与えてくださる祝福を壊す行為だからです。
ユダヤ人社会の中で、この「姦淫してはならない」という戒めは、神様が与えてくださった夫婦の関係を守るためのとても大切な戒めとされていました。男女ともに、結婚または婚約している異性とは関係をもってはならない。そのことは誰もが認識していることでありました。
イエス様が教えておられることは、しかし、実際の行為として姦淫の罪を犯さなければよいという範疇にとどまりません。すでに心の中に他人の妻に対する情欲が芽生えるなら、そのとき、その人は死に値する罪を犯したのだと言われます。
そもそも、人間が異性に対して魅力を感じたり、互いに惹かれ合うことは、考えてみれば当然のことです。というのは、神様が私たちを男女にお造りになったからです。神様は人間を男と女に創造されました。そして、「産めよ、増えよ」とお命じになりました。「産む、増える」とは、異性との、肉体関係をも含む夫婦の関係がなければ成り立たないものです。ですから男性が女性に、女性が男性に魅力を感じ、互いに惹かれ合うのは、本来は天地創造のときから与えられた祝福です。その祝福の中で結婚関係があり、「二人は一体となる」祝福があります。神様は、お造りになったすべてのものを見て「見よ、それは極めて良かった」と言っておられるのです。
では、「みだらな思いで」異性をみることは何が問題とされているのか。いくつかの説明の仕方があると思いますが、やはり、神様がご自分にかたどって創造された異性の尊厳をふみにじることにあるでしょう。神様は人間を、ご自分に似せてお造りになりました。その尊厳ある隣人を、あたかも自分の満足に役立たせるためだけにあるかのように、取り扱うのだとしたら、そこには罪があります。隣人を愛することとは正反対だからです。このことは、もちろん男性だけでなく女性にも言えることです。律法の目指すところは、神様と隣人を愛することです。そして、「姦淫してはならない」との戒めは、互いを愛する祝福へと向かっていかなければ意味がないことなのです。
「姦淫してはならない」そこには、結婚と家庭の平和を、私たちが本当に祝福として受けとってほしいという神様の御心があるのです。