2022年03月13日「地の塩・世の光」

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聖句のアイコン聖書の言葉

13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
15また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタイによる福音書 5章13節~16節

原稿のアイコンメッセージ

イエス様は、私たちのことを「地の塩」であり「世の光」であると言われます。イエス・キリストに従い、神様の恵みを喜ぶ人は、「地の塩・世の光」である。それはいったいどのような意味なのでしょうか。

イエス様はまず、「あなたがたは地の塩である」と言われます。塩が果たす役割には主に二つあります。ひとつは、味付けをすることです。塩というものは、見た目には目立たない、あるいはほとんど目に見えないかもしれませんが、そこにあるだけで味が全く変わってくるものです。イエス様が私たちのことを「地の塩」だと言われるのは、イエス様と共に生きる喜びで、この地上に味付けをするということなのです。イエス様に招かれて、幸いに生きるようにされた私たちが、その幸いをこの世界に浸透させていく。広げていく。そういう役目が、キリスト者には与えられているのです。

塩が果たすもうひとつの役割は、腐敗を防ぐということです。これは食べ物だけじゃなくて人間も同じです。最初の人間のアダム以来、人の心には罪があって、この罪が、生き生きとした命をむしばんでしまいます。そこで塩がその死に至る毒を中和する、つまり罪によって腐敗するのを防ぐわけです。そして、罪による腐敗が防がれたときに何が起きるかというと、生きる喜びを取り戻すことが起こるのです。私たちはイエス様と共にあって、イエス様の愛と喜びの中で生きる存在だと言われているのです。

イエス様は続けて「あなたがたは世の光である」と言われます。私たちの生活の中で「光」が果たす役割は本当に大きなものです。私たちはふつう、夜になっても電気ひとつで明るさを得ることができますが、外灯ひとつない、電気もない、本当の暗闇の中にいますと、途端に自分の居場所がわからなくなってしまいます。光というものは、ただ周りを明るくするだけではなくて、自分がどこにいて、どこに向かって進めばよいのかという居場所や道筋さえ教えてくれるものです。私たちの存在は、世を照らす光だ。人々を明るく照らすだけでなく、進むべき道筋さえ伝える光なのだと言われているのです。

私たち自身はもともと味気ない罪人であり、自分で光を放つことのできない者でありました。けれども、イエス様を信じているゆえに「地の塩であり、世の光」なのです。というのは、何よりもこれを語っておられるイエス様ご自身が‐地の塩であり、世の光であるからです。

ヨハネによる福音書8章12節で、主イエスは次のように言われました。

「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光をもつ」。

私たちは自分で「光」を放つことはできません。ちょうど夜の月が太陽の光を反射することによって輝くように、ただ、「わたしは世の光です」と言われたお方の光を反映することによってのみ、私たちは輝くことができるのです。

同じように、私たちには本来、罪の問題がありますが、イエス様がこの地上において「塩」となってくださったゆえに、私たちは罪の腐敗から守られ、救われた者とされたのです。

この、イエス・キリストを信じる者たちは全て、キリストを信じて従う故に、塩であり、光であると言われるのです。