2021年06月27日「確かな人物、テモテを送る」
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確かな人物、テモテを送る
- 日付
- 説教
- 金原堅二 伝道者
- 聖書
フィリピの信徒への手紙 2章19節~24節
聖書の言葉
さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。そこで、わたしは自分のことの見通しがつきしだいすぐ、テモテを送りたいと願っています。わたし自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています。フィリピの信徒への手紙 2章19節~24節
メッセージ
テモテという人はパウロの第二次伝道旅行の際に、パウロと出会った人物でした。使徒言行録16章の1節以下のところでそのときのことが記されています。テモテは信者の間で評判のよい青年でありました。パウロはこの若者テモテの信仰が健全であり、豊かな霊性をもっていることを見出したのでしょう。テモテは、それ以降パウロと同行するようになります。テモテはその後ローマまで同行して、ときおり、パウロの意思を受けて各地の教会に派遣されたと言われています。
この、テモテの派遣について、パウロは19節の中で「主イエスによって希望しています」と語っています。ただ、自分の思いによってそうしたというのではありません。「主イエスによって希望しています」と言われていますように、テモテの派遣が御心にかなったものである、という確信がパウロにはあるのです。テモテは、パウロから委ねられて、フィリピの人々に神の言葉を教え、指導するためにフィリピ教会へと遣わされようとしていました。
さて、テモテはこのような務めを果たすために適任者でありました。22節には「テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり」と書いてあります。「テモテは確かな人物である」とパウロは語ります。どのような点でテモテは確かな人物であったのでしょうか。
第一に、20節にあるように、テモテは「わたし(パウロ)と同じ思いを抱いて、親身になってあなたがた(フィリピ教会)のことを心にかけて」いたからです。それは、以前読んだ2章2節にあるような「同じ思い」であり、共にキリストを模範として謙遜になるという意味での「同じ思い」でしょう。テモては、キリスト者としての謙遜に生きていた人物でありました。
第二に、テモテが自分のことではなくイエス・キリストのことを追い求めていたからです(21節)。それは、先ほどのことと重なりますが、キリストに倣い、キリストの十字架の死と復活にあずかりながら生きていたということです。
第三に、22節にあるように「共に福音に仕えた」からです。大切なことは、「わたしと共に福音に仕えた」ということです。つまり、わたしと共に主なる神様に仕えて、共に「神の子」となって、共に礼拝をささげ、同じ思いとなって交わりを共にし、教会生活、信仰生活の中で共に福音に仕えていることこそ、確かな人物であることの根拠なのです。ですから、教会生活における「確かな人物」とは、共に福音に仕えている人物ということになります。決して利己心や虚栄心によって縛られているのではなく、謙遜になって福音に仕えていることが大切なのです。
必要なのは道徳的な素晴らしさや、何か多彩な能力ではなくて、互いにへりくだって共に福音に仕えようとすることなのです。それがたとえ、弱さをもった者であったとしても、欠けがあったとしても、共に福音に仕えようとしているのであれば、その人の働きはキリストを指し示すものとなっていきます。前回お話ししましたように、世にあってキリストの光を反映する者とされていくのです。