2026年05月31日「人間の罪と堕落」
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人間の罪と堕落
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
創世記 3章1節~15節
聖書の言葉
1主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
2女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。 3でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
4蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。 5それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
6女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 7二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
8その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 9主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
10彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
11神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
12アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
13主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
14主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は
あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
呪われるものとなった。
お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
15お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。」創世記 3章1節~15節
メッセージ
<ウェストミンスター小教理問答>
問13 わたしたちの最初の先祖たちは、創造された状態にとどまりましたか。
答 わたしたちの最初の先祖たちは、彼ら自身の意思の自由にまかされていたところ、神に対して罪を犯すことによって、創造された状態から堕落しました。
問14 罪とは何ですか。
答 罪とは、神の律法に少しでもかなわないこと、あるいは、それに違反することです。
問15 わたしたちの最初の先祖たちが、創造された状態から堕落した罪とは、何でしたか。
答 わたしたちの最初の先祖たちが、創造された状態から堕落した罪とは、禁じられていた果実を食べたことでした。
問14の答えが示しているように、罪とは「神の律法に少しでもかなわないこと、あるいはそれに違反すること」です。ただし、神の律法というのは、旧約聖書に記されている「いわゆる戒めの言葉そのもの」というよりは、ここでは神様の御心そのもののことです。イエス様は、律法の戒めについて大きく二つにまとめて語っておられます。それは、一つは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」ということ。そしてもう一つが「隣人を自分のように愛しなさい」です。神様と隣人を心から愛すること。そのことに違反したり、あるいは少しでもかなわないことがあるのなら、それは罪なのだということです。
心に留めたいことは、神様はそれでも、私たちをご自分のもとに呼び戻してくださるお方だということです(9節)。神様は、アダムに対して「どこにいるのか」と声をおかけになりました。この問いには、神様の憐れみがあります。実際にはアダムがどこにいるのかわかっておられながらも、「どこにいるのか」と問いかけるのです。罪を犯したこの夫婦を、有無を言わさず追い散らすのではなくて、まずご自分の前に引き出そうとされる、集めようとされるわけです。ここには、罪人を捜し求める神として、迷子の羊を捜すように彼らを捜す神様の憐れみがあるのです。
この、神様の憐れみは、主イエス・キリストによって、いよいよ私たちに示されました。イエス様は、罪人を探し求めるために来てくださいました。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マルコによる福音書2章17節の御言葉です。神様から離れ、神様の御顔を避けて、隠れようとする私たちを、神様はなお探し求めてくださる。その憐れみが、失われた者を探し求めるイエス・キリストの姿において、今、私たちに示されています。
イエス様は、最後には十字架へと進んでくださいました。私たちが神様に背き、御前から隠れ、言い訳を重ね、自分を守ろうとする、その罪を主イエスは担ってくださいました。私たちが神様との交わりを失い、死の支配のもとに置かれていたその現実を、主イエスはご自身の身に引き受けてくださいました。十字架において、主イエスは私たちの罪を負い、私たちに代わって裁きを受け、私たちを神様のもとへ連れ戻す道を開いてくださったのです。