2026年03月29日「イエスのまなざしに生きる」
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イエスのまなざしに生きる
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
ルカによる福音書 22章54節~62節
聖書の言葉
54人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。 55人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。 56するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。 57しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。 58少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。 59一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。 60だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。 61主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。 62そして外に出て、激しく泣いた。ルカによる福音書 22章54節~62節
メッセージ
ペトロが3度にわたってイエス・キリストを「知らない」と言ってしまう、有名な御言葉の一つです。ペトロはここで自分の弱さを突きつけられることになります。自分がイエス様の弟子であることを3度も否定してしまうのです。
ペトロが三度目にイエス様を否定したときに、突然鶏が鳴きました。実は、ペトロが強気にも「主よ、ご一緒になら、牢に入って死んでもよいと覚悟しております」と豪語したとき、イエス様は次のことを仰っていました。それは、「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」という予告の言葉です(34節)。「今日、鶏が鳴くまでに三度わたしを知らないと言うだろう」。その言葉通りのことが起こってしまいました。そのとき、ペトロは深い挫折と激しい後悔に襲われます。
ひとつ注目したいことは、ペトロがイエス様の言葉を思い出した「きっかけ」です。今日の御言葉によると、ペトロがイエス様の言葉を思い出したのは、60節の、鶏が鳴いたときではありません。ペトロが気がついたのは、61節で、イエス様が振り向いて自分を見つめたからです。ペトロがイエス様のことを重ねて否定する記事そのものは、四つの福音書のすべてが描いていますが、振り返ってペトロを見つめるイエス様を描いているのは、ルカによる福音書だけです。これは大変興味深いことだと思います。
実は、福音書記者のルカは、イエス様が「振り向く」姿を、何度も描いています(7:9、14:25など)。福音書記者のルカが描く「振り向くイエス様」とは、ただ体の向きを変えるだけのことではありません。そこにはいつも、人の間違いや思い違いを指し示す働きが伴っているのです。信仰の本当の姿を示し、「従うとはどういうことなのか」、このことを問いかけるのです。そして、弟子たちに、自分自身を見つめ直すように促しておられるのです。
イエス様が振り向かれるのは、私たちを責め立てるためではなくて、立ち直らせるためです。建てあげるためだと言ってもよいでしょう。過ちを指摘するのは、責めて終わるためではなくて、そこからもう一度歩き出すことができるようにするためなのです。そして、そのような「振り向くイエス様」のお姿が、最も深い意味をもって現れるのが、今日の場面だと言ってよいと思います。イエス様は、3度も否定したペトロに向かって、振り向いて見つめられました。それは、決して「なぜ裏切ったのか」という責めるまなざしではなかったはずです。むしろ、「あなたはそれでも、わたしの弟子なのだ」ということを思い起こさせるためのまなざしであったはずです。ペトロが自分の間違いに気がついたとき、涙を流しました。けれどもそこで終わるのではなく、もういちど立ち上がって歩み出すことができるように。そのために、主は振り向いて、彼を見つめられたのです。主が振り向いて見つめてくださる。そのときに、赦しが始まります。そしてそのまなざしを受け止めるときに、新しい歩みが始まるのです。