2026年03月22日「神の聖定とは何か」

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聖句のアイコン聖書の言葉

3わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。 4天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 5イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。 6神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。 7わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。 8神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、 9秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。 10こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。 11キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。 12それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。 13あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。 14この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。エフェソの信徒への手紙 1章3節~14節

原稿のアイコンメッセージ

<ウェストミンスター小教理問答>*小教理問答に基づく教理説教です。

問7 神の聖定とは何ですか。

答 神の聖定とは、神の御意志の計らいによる永遠の計画です。これによって神は、御自身の栄光のために、起こってくることを何でもすべて、あらかじめ定めておられます。

問8 神はその聖定を、どのように遂行されますか。

答 神は、創造と摂理の御業において、その聖定を遂行されます。

 

 聖書はその全体を通して、神様がご計画を持って働いておられるお方である、ということを語っています。聖定は、そのことを言い表した神学用語です。

 神様がご計画をもっておられる。ご計画をもった上で、この世界に関わっておられる。このことはとても大切です。この世界は、偶然出来上がったものではありません。私たちの人生も、ただの偶然の積み重ねではありません。神様は、ご計画をもってこの世界を造り、今も導いておられる。それが聖書の教えです。神様は、目的をもってこの世界を導いておられる。そして私たち一人一人も、そのご計画の中で生きているのだということです。

 ここではとりわけ、私たち人間に対しては、罪人たちの救いのご計画を立ててくださった、ということを覚えたいと思います。聖定の教理について考える時に、特に重要な事柄は、罪人の救いに関する聖定です。これを特に「予定」と呼ぶこともあります。 神様は、私たち罪人のために、救いを計画してくださいました。その動機は、天地創造以前から「あなたを愛する」という神様の愛に他なりません(エフェソ1:4)。このことは、この救いは全面的に、神様からの一方的な恵みであることを表しています。つまり、私たちが救われる根拠は、どこまでも神様の側にあるということです。私たち自身が立派だから救われるのではありません。私たちが努力したから、救われるのでもありません。そうではなく、すべては神様の恵みから始まったということなのです。

 このように、私たちの救いの根拠が、徹底的に神様の側にある。救いの確かさの究極的根拠が私たちを超えて、すべてを定めておられる神様にある。そのことを言い表すのが、神様の聖定であり、いわゆる予定です。「私たちの側には救われるに値するようなものは何もない。しかし、そのような私たちが救われたという事実がある。じゃあ、どうして私たちは救われたのだろうか。」そのことを突き詰めて行った時に、結局最後に行き着く答えは「神様が、そうしてくださったから」だということです。それしか言いようがないのです。どこまでも神様が恵みを注いでくださった。永遠の昔から私たちを愛してくださり、救いに定めてくださり、その救いのご計画をイエス・キリストにおいて実現してくださったのだ。だから今こうして、わたしは救いに入れられているのだ。それしか言いようがない。こういうことなのです。

 ですからこれは、神様の愛に背を向けていた私たちをさえ、なお愛し、救おうとしてくださった、神様の一方的な恵みの深さを告白する教えなのです。そして全てのことは、神様の愛から始まっている。このことを心から喜び、その喜びを言い表す。それが、神様の聖定の中を生きる信仰です。