聖書の言葉 16聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。テモテへの手紙二 3章16節 メッセージ <ウェストミンスター小教理問答> 【問2】どうしたら神の栄光をたたえ、神を喜ぶことができるかについて、神は、わたしたちを教え導くために、どのような規範を与えられましたか。 【答】旧新約聖書に含まれている神の言葉は、どうしたら神の栄光をたたえ、神を喜ぶことができるかについて、わたしたちを教え導く唯一の規範です。 【問3】聖書はおもに何を教えていますか。 【答】聖書はおもに、人間が神について何を信じなければならないか、また、神は人間にどのような義務を求めておられるかを教えています。 第二テモテには「聖書はすべて神の霊の導きのもとに書かれ」たとありました。それは、聖書の文書を書いた著者たちが、神様の特別なお導きによって、自分で書きながら、神の御言葉そのものを書き記したということを教えています。その意味で、旧約と新約、66巻の書物から成り立つ「聖書」という書物は、人間の手によって書かれたものであるのと同時に、神の御言葉そのものであるのです。 聖書は66の書物の集合体であって、その内容は歴史、詩編、律法の戒め、物語、手紙など、その内容は多岐にわたっています。開いた箇所によって、その内容も、またそこから受ける印象も異なるのではないかと思います。しかしここで言う聖書の内容とは、聖書全体を貫く横糸のようなもので、その最も重要なテーマは何か、ということです。「おもに」とはこの意味で用いられていますが、そこには二つの事柄が答えとして挙げられています。 聖書が教えていることは、第一に「人間が神について何を信じなければならないか」ということです。神様は聖書を通して、ご自身について私たちが信じなければならない事柄を、教えておられます。神様が、ご自身のことを、私たちに教えてくださる。まずはこのことの意味を、少しじっくり考えておきたいと思います。というのは、神様が教えてくださるのでなければ、私たちは神様のことを正しく知ることができないからです。 聖書が教えていることは第二に、「神が人間にどのような義務を求めておられるか」ということです。先ほどは、「何を信じるべきか」ということを申しました。しかし聖書は、それだけでは終わりません。神様を正しく知るならば、その神様との関係の中で、私たちはどのように生きるのかという問いが、必ず生まれるのです。聖書は、その生き方についても語っているのです。また、聖書が語る「神の求めておられる義務」とは、決して「そうしなければ救われない」といったものではありません。救われるための条件ではないのです。そうではなく、すでに神様によって愛され、救われた者が、その神様の愛に応えて歩む道なのです。「独り子を与えてまで私を愛してくださった。これほどまでに愛してくださった神様を、私も愛して歩む!」という、感謝の応答の道なのです。 私たち人間の究極の目的は、神様の栄光をあらわし、神様を喜ぶことです(問1)。そしてそのために、神様は沈黙しておられるのではなく、聖書を通して語り、ついには御子イエス・キリストを与えてくださいました。聖書は、私たちに神様を正しく知らせ、救いへと導き、神様と共に生きる喜びの道を示す、神様からの確かな御声です。この御言葉に耳を傾けて、キリストに信頼して歩む時、私たちは本当に神様の栄光をあらわし、永遠に神様を喜ぶ人生へと導かれていくのです。
<ウェストミンスター小教理問答>
【問2】どうしたら神の栄光をたたえ、神を喜ぶことができるかについて、神は、わたしたちを教え導くために、どのような規範を与えられましたか。
【答】旧新約聖書に含まれている神の言葉は、どうしたら神の栄光をたたえ、神を喜ぶことができるかについて、わたしたちを教え導く唯一の規範です。
【問3】聖書はおもに何を教えていますか。
【答】聖書はおもに、人間が神について何を信じなければならないか、また、神は人間にどのような義務を求めておられるかを教えています。
第二テモテには「聖書はすべて神の霊の導きのもとに書かれ」たとありました。それは、聖書の文書を書いた著者たちが、神様の特別なお導きによって、自分で書きながら、神の御言葉そのものを書き記したということを教えています。その意味で、旧約と新約、66巻の書物から成り立つ「聖書」という書物は、人間の手によって書かれたものであるのと同時に、神の御言葉そのものであるのです。
聖書は66の書物の集合体であって、その内容は歴史、詩編、律法の戒め、物語、手紙など、その内容は多岐にわたっています。開いた箇所によって、その内容も、またそこから受ける印象も異なるのではないかと思います。しかしここで言う聖書の内容とは、聖書全体を貫く横糸のようなもので、その最も重要なテーマは何か、ということです。「おもに」とはこの意味で用いられていますが、そこには二つの事柄が答えとして挙げられています。
聖書が教えていることは、第一に「人間が神について何を信じなければならないか」ということです。神様は聖書を通して、ご自身について私たちが信じなければならない事柄を、教えておられます。神様が、ご自身のことを、私たちに教えてくださる。まずはこのことの意味を、少しじっくり考えておきたいと思います。というのは、神様が教えてくださるのでなければ、私たちは神様のことを正しく知ることができないからです。
聖書が教えていることは第二に、「神が人間にどのような義務を求めておられるか」ということです。先ほどは、「何を信じるべきか」ということを申しました。しかし聖書は、それだけでは終わりません。神様を正しく知るならば、その神様との関係の中で、私たちはどのように生きるのかという問いが、必ず生まれるのです。聖書は、その生き方についても語っているのです。また、聖書が語る「神の求めておられる義務」とは、決して「そうしなければ救われない」といったものではありません。救われるための条件ではないのです。そうではなく、すでに神様によって愛され、救われた者が、その神様の愛に応えて歩む道なのです。「独り子を与えてまで私を愛してくださった。これほどまでに愛してくださった神様を、私も愛して歩む!」という、感謝の応答の道なのです。
私たち人間の究極の目的は、神様の栄光をあらわし、神様を喜ぶことです(問1)。そしてそのために、神様は沈黙しておられるのではなく、聖書を通して語り、ついには御子イエス・キリストを与えてくださいました。聖書は、私たちに神様を正しく知らせ、救いへと導き、神様と共に生きる喜びの道を示す、神様からの確かな御声です。この御言葉に耳を傾けて、キリストに信頼して歩む時、私たちは本当に神様の栄光をあらわし、永遠に神様を喜ぶ人生へと導かれていくのです。