2026年01月04日「神が清めたもの」

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神が清めたもの

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
使徒言行録 10章1節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

1さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、 2信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。 3ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。 4彼は天使を見つめていたが、怖くなって、「主よ、何でしょうか」と言った。すると、天使は言った。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。 5今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。 6その人は、皮なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。」 7天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、 8すべてのことを話してヤッファに送った。
9翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。 10彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、 11天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。 12その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。 13そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。 14しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」 15すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」 16こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。使徒言行録 10章1節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 神様はペトロの名前を読んで、彼に一つの幻をお見せになりました。天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅を吊り下げられて地上におりてくるのです。そしてその中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。それらは、ユダヤ人にとって、食べてはならないものばかりでした。モーセの律法によって「清くない」とされ、食べることが禁じられていた生き物たちだったわけです。私たちにはこういう「汚れている」とか「清められている」という感覚は、なかなかわからなものです。しかし、食べるものというのは、私たち人間の、極めて「日常」に関わることでありますから、生粋ユダヤ人であるペトロにとっては、この映像は生々しいものだったと思うのです。「食べてはならない」「汚れている」とされた動物たちが敷き詰められている。さらに「食べなさい」との天からの声が聞こえてくる。その光景は、目を背けたくなるものだったのではないか、と想像します。しかも、このやりとりは一度きりではありません。同じことが三度も繰り返されます。念押しするようにして、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」 というこの真理を、神様はペトロに丁寧に示されたのでした。

 ペトロは、生まれ育った時から律法を大切に守り、清いものと汚れたものを厳格に区別して生きてきた、敬虔なユダヤ人でした。そのような彼にとって、異邦人と交わり、まして同じ食卓につくことは、信仰そのものを揺るがすほど大きな壁だったのです。しかし神様は、そのような弱さを抱えたペトロを退けることなく、幻を三度示し、少しずつ彼の心と理解を造り替えていかれました。

 この時、ペトロをはじめとするユダヤ人キリスト者たちの心には、迷いやためらいがありました。「異邦人に福音を伝えてよいのだろうか」という葛藤です。しかし、ここで異邦人宣教へ大きく舵を切ることによって、キリスト教はユダヤ人の枠組みを超えて、世界の人々へと開かれていくことになります。

 重要なのは、福音そのものが変わったのではないということです。イエス・キリストが十字架にかかってまで、私たちを愛し抜いてくださった。そのイエス・キリストが復活なさり、今は天にあって私たちの歩みを導いてくださる。この福音の中心は、何も変わっていません。変えられたのは、福音の内容ではなく、ペトロをはじめとする初代の使徒たちの心なのです。

 私たちもまた、イエス・キリストの福音に生かされながら、隣人に対して無意識に壁を作ってしまうことがあります。けれども、神様の愛は、そのような私たちの引いた線の内側だけにとどまるものではありません。神様は、私たちが想像するよりもはるかに自由に、はるかに深く、人を愛しておられます。そしてその愛は、私たちがためらい距離を置こうとする相手にも、確かに向けられているのです。御言葉によって新しくされ、隔ての壁を取り除いて隣人を愛する歩みへと、私たちは招かれています。