2025年11月30日「アドベント(1)〜イエスの降誕を待ち望む〜」

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アドベント(1)〜イエスの降誕を待ち望む〜

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
ルカによる福音書 1章26節~38節

聖句のアイコン聖書の言葉

26六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 28天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 29マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 30すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 31あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 33彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 34マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 35天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 36あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 37神にできないことは何一つない。」 38マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。ルカによる福音書 1章26節~38節

原稿のアイコンメッセージ

 今日から私たちは、クリスマスを前にしたアドベントの時を過ごします。「アドベント」とは「到来」あるいは「訪れ」という意味の言葉です。そこにはもちろん、イエス様がこの世のお生まれになったという、クリスマスに思いを向けるという意味があります。しかし、それだけではなくて、このアドベントには、イエス様の第二の到来、すなわち世の終わりにもういちど来てくださる「再臨」を待ち望むという意味も込められているのです。

 マリアはここから、突然と言える神様の「訪れ」を受けとめて、神の子イエス・キリスト誕生を「待つ」歩みをなしていきます。その歩みは決して平坦なものではありません。ここから、村の人たちの視線や、ヨセフの誤解など、さまざまな試練が待ち受けています。そのようなマリアを支え、励ましたのは「神にできないことは何一つない」(37節)との約束です。

 試練の中でも、マリアが歩むことができたのは、その先で「喜びが実現する」と約束されているからに他なりません。私たちもそうでしょう。何か、苦しいことがあったとしても、その先に、何か希望があるならば、耐え忍ぶことができます。乗り越えることができます。実際、身近なことで言うならば「この仕事を乗り越えたら、ご褒美に美味しいものを食べる」とか「誰か大切な人と過ごす」など。そういう、未来に楽しみなことがあるのだとしたら、それが乗り越える力になるのではないでしょうか。そういう体験って、皆様もされたことがあるのではないでしょうか。

 未来に希望がもてるとき、私たちは生きる力が湧くのです。これは、アドベントを過ごす上でとても大切なことなのではないか、と思います。

 その時に、考えなければならないことは、「人の約束は、100%必ず実現するとは限らない」ということです。「来週の土曜日、ご飯を食べに行きましょう」と約束したとしても、体調を崩して延期になったり、実現しない、ということもあり得ます。

 そういったことを突き詰めて考えていきますと、私たちは次のように言うことができるはずです。すなわち、どのようなことがあっても必ず実現される。しかも「喜び」が約束されているとしたら、それは神の約束に他ならない。その約束とは、神様が、私たちに独り子イエス・キリストを与えてくださる。このイエス・キリストこそ、私たちの救い主である、ということです。

 私たちの人生には、確かに、恵みとは言えないような出来事が起こることがあります。そのとき、私たちは神様の導きを疑いたくなるかもしれません。けれども、神様のなさることには必ず意味があります。またその背後には、私たちに恵みを与えようとする御心があります。ここには、喜びが約束されているのです。「楽しみだなあ」と待ち望む。イエス・キリストを待ち望む。そのイエス・キリストのもとに、私たちを本当に生かす力があるのです。