2025年11月23日「タビタよ、起きよ」

問い合わせ

日本キリスト改革派 滋賀摂理教会のホームページへ戻る

タビタよ、起きよ

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
使徒言行録 9章32節~43節

聖句のアイコン聖書の言葉

32ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。 33そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。 34ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。 35リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。
36ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。 37ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。 38リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。 39ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。 40ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。 41ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。 42このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。 43ペトロはしばらくの間、ヤッファで皮なめし職人のシモンという人の家に滞在した。使徒言行録 9章32節~43節

原稿のアイコンメッセージ

 今日の箇所には二つの癒しの出来事が記されています。前半は、8年間寝たきりになっていた「アイネア」という人が、癒されて再び立ち上がる、という癒しの出来事。そして後半は、病気で死んでしまった「タビタ」という女性が、驚くべきことに命を吹き返して立ち上がる、という癒しの出来事です。いずれにしても、この出来事を通して聖書が伝えたいことは、イエス・キリストです。ペトロは、アイネアの癒しに際しては「イエス・キリストが癒してくださる」と言って彼を励まします。また、死んでしまったタビタの遺体を前にして、ひざまずいて主に祈ります。そのように、主であるイエス・キリストの御力によって癒される、というのが今日の御言葉の中心にあることです。決して、ペトロが優れているとか、ペトロに特別な力があったとか、そういうことではありません。ただ、主であるイエス・キリストのご栄光がこの場所に現れるために、これらの癒しは実現したのです。

 私たちはここから、次の二つのことをよくよく覚えておきたいと思います。一つは、私たちの命は、主の御手の中にあるのだということ。そしてもう一つは、イエス・キリストこそ、命の主であるということです。

 私たち人間は、いつかは必ず肉体の死を迎えます。人生の半ばでどれほど素晴らしい業績や働きがあろうとも、あるいは深い信仰と奉仕に生きたとしても、その最後は死であり、それを避けることは誰にもできません。死という現実に向き合うとき、私たちは自分たちの無力さを思い知らされるのです。この、死の力に対して、どのように向き合っていくことができるのか。それは、私たち生きる者にとって大きな問いです。

 イエス様は、私たちの誰もが答えを見出せずにいる、死の問題に立ち向かっていかれました。そして大切なことは、イエス様によって、死の力がすでに打ち破られている、ということです。イエス様は、私たちの罪を背負って、その身代わりとなって十字架の上で死なれました。このために、命の源である神様との関係が回復され、私たちの生きる道が開かれました。肉体の死でさえも終わらない、死後も神様と共にあって、祝福のうちに生きる、すなわち永遠の命への道が開かれました。そのことを、ご自分が三日目に復活するという仕方で、確かに保証してくださったのです。

 今日の御言葉が指し示しているのは、このことです。私たちをご自分のもとで生かしてくださる、神様の祝福が、イエス・キリストを通して現実のものとなる。このことが、アイネアの上に、またタビタの上に、そして主を信じた人々の上に実現したということなのです。そしてまた、主である神様は、同じ祝福の中に、今、私たちを招いておられるのです。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)