2025年11月02日「エチオピア人への伝道」
問い合わせ
エチオピア人への伝道
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
使徒言行録 8章26節~40節
聖書の言葉
26さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。 27フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、 28帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。 29すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。 30フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。 31宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。 32彼が朗読していた聖書の個所はこれである。
「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。
毛を刈る者の前で黙している小羊のように、
口を開かない。
33卑しめられて、その裁きも行われなかった。
だれが、その子孫について語れるだろう。
彼の命は地上から取り去られるからだ。」
34宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 35そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 36道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 37† 38そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 39彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。 40フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。使徒言行録 8章26節~40節
メッセージ
エチオピアの宦官がフィリポを通してイエスを信じ、洗礼を受けた場面です。
彼が朗読していた箇所はイザヤ書53章7〜8節です。フィリポは、聖書のこの箇所から説きおこして、イエス様について福音を宣べ伝えたのでした。この御言葉に記されている苦難のしもべこそ、十字架で死に、三日目に復活されたイエス様である、と告げたのです。ただし、このエチオピアの宦官にとっては、イザヤ書のメッセージはさらに深い意味をもっていました。このときフィリポが、イザヤ書の御言葉をどこまで説き明かしたのかは記されていないのですが、多くの学者は、きっとイザヤ書を56章まで説き明かしたのではないか、と言います。というのは、イザヤ書56章には、異邦人と宦官のことについて記されているからです。
「主のもとに集って来た異邦人は言うな
主は御自分の民とわたしを区別される、と。
宦官も、言うな
見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。
なぜなら、主はこう言われる
宦官が、わたしの安息日を常に守り
わたしの望むことを選び
わたしの契約を固く守るなら
わたしは彼らのために、とこしえの名を与え
息子、娘を持つにまさる記念の名を
わたしの家、わたしの城壁に刻む。
その名は決して消し去られることがない。」
(イザヤ書56章3〜5節)
このエチオピアの宦官は、エルサレム神殿で礼拝をささげて、その帰り道にあったのでした。彼は、わざわざ自分の国から遠く離れたエルサレムに旅をして、そこで神様を礼拝したいという熱心な思いをもっています。けれども、そこで体験したことは、必ずしも喜ばしいことばかりではなかったはずです。というのは、彼は異邦人であり、しかも宦官であったために、神殿のどこまで入って礼拝をささげることができたのかは、定かではないからです。
彼は宦官であるために、神殿の最も外側である異邦人の庭にすら入ることのできなかった可能性があります。実は旧約聖書の律法において「宦官は、主の会衆に加わることができない」という定めがあるためです(申命記23章2〜3節)。ですから、結局のところ彼が異邦人の庭にさえ入ることができなかったとしたら、長旅をしてきたのに、神殿の境内に入ることすらできないという、つらい経験をしたということなのです。異邦人であり、宦官である彼は、どんなに身分の高いお金持ちで、またはるばる遠くから旅をしてきたとしても、神殿の中心からは幾重にも隔てられた外側からしか、礼拝をすることができなかったのです。
しかしイザヤ書56章には、異邦人も、また宦官も、主である神様の民に連なることが許され、喜びの祝いに連なることが許される、という恵みが預言されています。旧約においては除外されていた異邦人や宦官が、神様の大いなる恵みによって救いにあずかることが、約束されているのです。主イエス・キリストの福音は、あらゆる隔ての壁を打ち破ります。終わりの日には、彼もまた主の契約に入れられて、「喜びの祝いに連なる」ことができるのです。異邦人である私たちもまた、その喜びに「あなたも連なりなさい」と招かれています。