2025年06月08日「聖霊に満たされ、神に従う」
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聖霊に満たされ、神に従う
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
使徒言行録 4章1節~22節
聖書の言葉
1ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。 2二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、 3二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。 4しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。
5次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。 6大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。 7そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。 8そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、 9今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、 10あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。 11この方こそ、
『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、
隅の親石となった石』
です。 12ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 13議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。 14しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。 15そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、 16言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。 17しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」 18そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。 19しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。 20わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 21議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。 22このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。使徒言行録 4章1節~22節
メッセージ
イエス様はかつて「あなたがたは捕えられて指導者の前に立たされるが、それは証しのチャンスとなる。しかも、そのとき語るべきことは聖霊が与えてくださる」と仰いました(マタイ10:17~20)。今日のペトロたちの経験はまさにその御言葉の成就です。ペトロは聖霊に満たされて、裁判の席を福音宣教の場に変えてしまった。それが、今日の御言葉が私たちに伝えようとしていることです。
ペトロは11節で、旧約の御言葉を引用して、このイエスこそ「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」であると断言します(詩編118)。
隅の親石とは、てっぺんにあって、しかも建物全体を支えている重要な要石のことです。詩編の御言葉では、エルサレム神殿を再建する際に「これはいらない」と捨てた石が、結局のところ神殿完成のあかつきには、最も重要な土台にあたる要石になっていたという、その不思議な摂理の業を詩人はほめたたえています。そのように、イエス様は、神の家を建てる「あなたがた」指導者たちからは「捨てられた」のですが、今や復活し、天にあげられて、神の家の重要な要石になられた。隅の親石となられたのです。したがって、神の家に連なろうとする者であるならば、この「隅の親石」であるイエス・キリストを抜きにすることはできません。イエス様を抜きにしてしまったら、全体が崩れてしまうほどに、イエス様は重大な土台となっておられるのです。
それにしても、今日の御言葉に描かれているペトロの大胆な回答には、私たちも驚かされます。ペトロを大胆に語らせた理由はいくつかありますが、その最も重要な理由は、ペトロが聖霊に満たされた語ったことです。議員たちも驚いた彼らの大胆さと力とは、彼ら自身の持っている力ではありません。自分の力や信念により頼んでいたときには、ペトロにせよヨハネにせよ、身の危険が迫ればイエス様を捨てて逃げ去ってしまったのでした。けれども今、彼らは、もはや自分のもっている力や信念ではなく、ただ主イエス・キリストの御名によって生かされ、支えられ、導かれています。聖霊に満たされて、イエス様の支えと導きに信頼を置いています。そのとき、彼らはユダヤ人の権威ある指導者たちの只中で、はっきりとイエス・キリストを証しすることができたのです。
私たちも、キリスト者がわずか1パーセントである日本社会の中で、イエス・キリストを証しするのに抵抗を感じたり、圧力を感じることがあろうかと思います。そのような人間社会の中で、どのようにして大胆にキリストを証しすることができるのか。どのように人間を恐れずに生きることができるのか。その方法は、人間以上に、神様を畏れる。それしかありません。そして、健全に神様を畏れるためには、聖霊に満たされる必要があるのです。ペンテコステの日に教会を誕生させた聖霊は、今も継続的に働いています。その聖霊に満たされて、困難の中でも、迫害を受ける時にも、大胆に、力強く、イエス・キリストをほめたたえ、証しする力をいただくことができるのです。