2025年03月30日「使徒たちの務め」

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使徒たちの務め

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
使徒言行録 1章12節~26節

聖句のアイコン聖書の言葉

12使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。 13彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。 14彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。
15そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。 16「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。 17ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。 18ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。 19このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。 20詩編にはこう書いてあります。
『その住まいは荒れ果てよ、
そこに住む者はいなくなれ。』
また、
『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』
21-22そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」 23そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、 24次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。 25ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」 26二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。使徒言行録 1章12節~26節

原稿のアイコンメッセージ

 約束された聖霊を待っていた使徒たちは、心を合わせて熱心に祈っていました。その祈りの中で示されたのでしょうか、使徒のペトロが立ち上がって、修復すべき問題について触れていきます。それは、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダが欠けてしまったことで、12人の使徒たちが11人になっている、という問題です。そこで仲間のうちから1人を選んで、使徒を補充することになりました。

 21-22節には、使徒の条件といえる内容が語られています。その条件とは、洗礼者ヨハネの頃から共にいて、その働きを知っている者。また、復活のイエス様にお会いし、イエス様が天に昇られたことをも証言できる者、という条件です。

 「使徒」とは、「遣わされた者」という意味の言葉です。彼らはの務めはイエス様に遣わされて、イエス様を証しすることです。使徒たちは、これから自分たちを遣わしたイエス・キリストを、その身をもって証しできる必要があります。さらに言うと、復活したイエス様が、今も生きておられることを証しできなければなりません。そのためにはイエス様復活と昇天の証人であり、目撃者であることが必要です。復活のイエス様と共に過ごし、天に昇られたことを目撃していなければ、身をもって証しすることができないからです。もっと言うと、復活から昇天までの40日間に共におられたイエス様が、十字架以前にも共におられた「あの」イエス様であることを証明できなければなりません。ですから、使徒は生前のイエス様のことをも熟知していなければなりません。そのために、洗礼者ヨハネの頃から始まって、イエス様の公生涯の全期間を共にした、少数の献身者である必要があったわけです。

 その条件のもとで、二人の人物の名前が挙がりました。一人は「バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフ」であり、もう一人は「マティア」という人物でした。この二人のうちどちらが12人目の使徒となるのか、そのことを決定するために、彼らはくじを引いたのです。これは旧約聖書に背景をもつ判断の仕方でした。旧約聖書をみると、重要な決断をする際に、くじを引く場面がたびたび出てくるのです。例えば旧約聖書のサムエル記上においては、神様がイスラエルの最初の王として誰をお選びになったかを知るためにくじが引かれ、最終的にサウルが選び出されたことが記されています(サムエル上10:17-24)。そこに、主の御心が現れる、という信仰のゆえです。イスラエルの民は、決していい加減な気持ちでくじを引いたのではなく、神様の御心を明らかにし、確認するためにくじを引いたのです。

 今日の御言葉が語っていることは、これから始まる主の働き、すなわち福音宣教のための備えです。聖霊を待つ。その具体的な姿勢が教えられています。その姿勢とは、みんなが心合わせて熱心に祈ることであり、御言葉を通して、主の御心を尋ね求めることです。その先で、進むべき道が示される。このことを、私たちもよく覚えておきたいと思います。