2025年03月09日「キリストの復活」

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聖句のアイコン聖書の言葉

1さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 2すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 3その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。 4番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。 5天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、 6あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。 7それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」 8婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。 9すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 10イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
(1〜10節)マタイによる福音書 28章1節~15節

原稿のアイコンメッセージ

 イエス様の死と葬りを見守った女性たち、すなわちマグダラのマリアともう一人のマリアが、再び墓の様子を見にいくところから事態が動き始めます。2節にあるように、地震が起こり、主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったというのです。

 天使が告げたことは、十字架にかけられて死なれたイエス様が「もうここにはおられない」ということです。天使は、墓を指さして「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」と言います。そのようにして、イエス様復活の証拠を確認させるわけです。天使が「あの方は、ここにはおられない」と言いましたように、すでに墓の中は空っぽです。イエス様のご遺体は、もうそこにはありません。すなわち、イエス様の復活は、文字通り体の復活なのだということです。

 マリアたちが、弟子たちに伝えるべきメッセージとして告げられたことは、まず、イエス様が復活なさったという事実です。その、復活の事実を携えて、弟子たちのところに向かっていくようにと命じられたのです。復活されたということは、言い方を換えると「今も生きておられる」ということです。イエス様は、死んで葬られて、それで終わりではありませんでした。イエス様が今、生きておられる。その良い知らせを抱いて、彼女たちは走っていくことになります。

 弟子たちに伝えるべきメッセージとして告げられたもうひとつのことは、ガリラヤでイエス様とお会いできるということです。イエス様は、弟子たちを再びガリラヤに集めようとしておられます。なぜ、ガリラヤなのか。その理由はおそらく、ガリラヤこそ、イエス様がはじめに福音を語り、弟子たちと語り、訓練した場所だからです。ガリラヤこそイエス様と弟子たちとの交わりが形作られたところでした。確かに、弟子たちは今、イエスの十字架に際して逃げ出してしまっています。今の弟子たちは躓き、失敗し、傷ついています。そこで、彼らが初めに弟子となった場所で、再び、イエス様の弟子となったそのときを思い起こして立ち上がらせるために、イエス様はガリラヤという場所を選ばれたのです。

 イエス様は、弟子たちのことを「わたしの兄弟たち」と言っておられます。かつては怖がって逃げ出してしまった弟子たちのことを、またイエス様のことを三度も「知らない」と否定してしまったペトロをも含めて「わたしの兄弟たち」と呼ぶのです。弟子たちは確かにいちど、主に躓きました。けれども、それで終わりではありません。よみがえられたイエス様は、つまずいた弟子たちにもういちど愛を注いで、立ち上がらせようとしておられます。そして、命と喜びに満ちた復活の福音を伝えさせようとなさっているのです。私たちもまた、たとえその信仰の歩みにおいて、失敗したり、躓いてしまったとしても、それで終わりではありません。イエス様は何度でも私たちが再び立ち上がるように招いておられます。私たちが失敗し、傷ついたときに、立ち戻る場所がここにあります。