2025年02月16日「十字架を背負うイエス」

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十字架を背負うイエス

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
マタイによる福音書 27章27節~44節

聖句のアイコン聖書の言葉

32兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。 33そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、 34苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。 35彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、 36そこに座って見張りをしていた。 37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。 38折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。 39そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、 40言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」 41同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。 42「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。 43神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」 44一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
(32〜44節)マタイによる福音書 27章27節~44節

原稿のアイコンメッセージ

 32節以下には、実際にイエス様が十字架に磔にされる、その場面が描かれています。兵士たちの侮辱を受けたあと、イエス様はゴルゴタまで連行されます。そこで、イエス様の十字架を、シモンというキレネ人に運ばせたと書かれています。通常、十字架刑に処せられた人は、十字架の縦横の柱のうち、横木の方をを背負わされたそうです。縦の柱は刑場に既に立てられていて、受刑者はそこまで十字架を担いで歩かなければならなかったわけです。ここでシモンという男が十字架の柱を背負わされたのは、おそらくこの時点でイエス様が既に衰弱して背負うことができなくなったからだと思われます。

 しかし、イエス様は、たとえ肉体的には衰弱しておられても、十字架の苦しみを余すところなく味わい尽くすお方でした。34節で「苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった」とあります。苦味を混ぜたぶどう酒は何かというと、死刑囚の神経と苦痛を和らげるための、一種の麻酔のようなものです。それを飲まなかったということは、このときイエス様は、苦しみを和らげようとはされなかったということです。イエス様は、苦しみの最後の一滴まで余すところなくその身に引き受けられた、ということがわかります。

 しかし肉体的な苦痛は言うまでもありませんが、なんと言っても、この場面で顕著なのは、人々の激しい罵りです。彼らはみな「自分を救ってみろ。本当に神の子なら、それができるはずだ」と言います。しかしイエス様は決して、十字架から降りて自分を救おうとはされませんでした。イエス様は沈黙しておられます。人々の叫ぶ声に従うことはされなかったのです。

しかし、イエス様は、ご自分が十字架につけられて死ぬことが、神様の御心であることを知っておられました。その御心に完全に従う神の子であるゆえに、イエス様はご自分を救おうとはなさいません。十字架から降りることをなさいません。

 イエス様はただ、神様の御心に従って、神様の御心が成るように祈って歩まれました。ここでイエス様が十字架から降りてくるとするならば、イエス様の地上生涯の全てが無意味になってしまうのです。父なる神様が何のためにイエス様を地上に遣わされたのか、その意味が、失われてしまうのです。 

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

有名なヨハネによる福音書3章16節の御言葉です。イエス様が十字架で死ななければならなかった、その意味は、独り子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得ること、救われることです。このために、父なる神様に従順であって、この世の罪と攻撃を余すことなく受け入れて、この世の苦しみを全て味わい知ることがどうしても必要だったのです。