2024年12月01日「イエス誕生の意味(1)ー約束の実現ー」

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イエス誕生の意味(1)ー約束の実現ー

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
マタイによる福音書 1章1節~17節

聖句のアイコン聖書の言葉

1アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
2アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、 3ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、 4アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、 5サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、 6エッサイはダビデ王をもうけた。
ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、 7ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、 8アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、 9ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、 10ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、 11ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
12バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、 13ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、 14アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、 15エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 16ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
17こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。マタイによる福音書 1章1節~17節

原稿のアイコンメッセージ

マタイが示すこの系図は、イエス様の先祖たちの罪を赤裸々に語っています。その通り、この系図は、一方ではイスラエルの歴史が罪の歴史であることを示しています。しかしもう一方で、イスラエルの民の罪にもかかわらず、イスラエルの民の歴史は満ち満ちた完全なものであることが示されています。

17節のところで、「アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロン移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまでが14代」と書かれてあります。これはしかし、文字通り14代ずつぴったりに、14代ずつ遡ったらアブラハムに到達するという意味ではありません。実は、これを書いたマタイが、歴史を14代ずつに分けて、意図的に区分しているのです。

聖書の中で、「7」という数字は「完全さ」を表す完全数と言われます。私たちは通常7日ごとに一週間という時の流れを区切り、日曜日ごとに主の日の礼拝をささげていますように、7日が完全な、ひと巡りの時間であって、7という数字は、完全を表す象徴的な数とされてきたのです。この系図が14という数字で区切っていますのは、7の2倍であって、より完全な神様のご計画を思い起こさせるようになっているわけです。主なる神様は、私たち人間の罪深さ、欠けと破れのゆえに捨て去るのではなく、ご自分の愛と憐れみのゆえに良いものとして受け止め、救いのご計画を実現させてくださるのです。

 また、神様の完全な救いの御計画を表すこの系図には、マリアを除くと4人の女性たちの姿があります。「タマル」「ラハブ」「ルツ」そして「ウリヤの妻」バト・シェバです。タマルは舅であるユダから子種を得てペレツとゼラを産んだ女性でした。ラハブはヨシュア記で、民がエリコの町に攻め入るときに登場した女性で、遊女でありました。ルツは、もとはモアブの地の出身でありましたが、姑のナオミに従順について、ボアズとの結婚の道が開かれた女性でありました。

1世紀のユダヤ社会のしきたりでいえば、このように女性たちが系図に登場するのは、極めて異例のことです。その中には罪の事実があり、立場の弱い女性の姿があり、異邦人の血が含まれています。つまり、神様の選びの歴史の中に、この女性たちが記されていることによって、人々の間のカベが壊されていくのです。男と女。ユダヤ人と異邦人。社会的優劣。人間社会にはさまざまなカベがあります。しかしながら、神様の救いのご計画の前では、人は皆、等しく罪人でしかないのです。人は皆、等しく罪人であるとはどういうことかと言うと、皆、神様によって救われる対象だということなのです。

 この系図は主イエス・キリストと結び合わされて、罪の歴史の全てが十字架の贖いに結び合わされています。イエス様は、罪と汚れのあるイスラエルの民を背負うために遣わされました。そしてイスラエルを祝福の源として、今ここにいる私たちの一人ひとりの罪を背負うために地上に生まれてくださいました。そして、その目的のために十字架についてくださったのです。