聖書の言葉 ボアズは答えた。「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」。(11-12節)ルツ記 2章1節~23節 メッセージ ルツがナオミに「落ち穂拾い」をさせてほしいと願い出ると(2節)、ナオミはルツを送り出します。 落ち穂拾いとは、貧しい人々が生き延びるための手段でした。イスラエルの律法には、収穫の際に生じる落ち穂は貧しい人たちのために残しておかなければならないと定められています(レビ記19:9-10)。 ルツが出かけていった場所は、「たまたま」エリメレク一族、つまり有力な親戚にあたるボアズが所有する畑地であったと記されています(3節)。ボアズがエリメレク一族であることは1節と3節で繰り返されていて、わざわざ強調するような書き方がされています。聖書は重要な事柄を繰り返し述べるものですので、ルツがボアズのところに辿り着いたのは「たまたま」だと語りながらも、しかし背後で神様が働いていることを暗に示していると言えるでしょう。これを読むときに私たちは、偶然と思えることにも神様が確かに働いていることを期待させられます。 ボアズとルツの会話が8節から13節にかけて記されています。ボアズはルツに、落ち穂拾いの許可を出すだけでなく、彼女が生活の糧を得るための手段を確保し、さらには快く働けるように保護を申し出ました。これは並大抵ではない手厚さです。なぜ彼はこれほどの厚意をルツに示したのでしょうか。 その理由について、ボアズは11節でこう答えます。 「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」。 これが、ボアズがルツに厚意を向ける理由です。彼女は確かに「よそ者」すなわち「異邦人」であり「異教徒」であって、イスラエルの神様の恵みからは排除されるはずの人間でした。しかしながら主がルツを顧みて、彼女にあらゆる面で働いてくださったのでした。 まず、ルツはナオミを通して、イスラエルの神、主への純粋な信仰が与えられました。さらにルツは真心をもってナオミに仕えることによって、ナオミの属する民、すなわちイスラエルの民と一体的になり、イスラエルの神を自分の神としたのでした。 まさに、ルツは異国の出身でありながら、イスラエルの神である主の御翼のもとに逃れてきたのです。ボアズは、主の御翼のもとに逃れてきたルツに対して、主なる神様がお与えになる恵みの御心を、豊かな報いをここで現そうとしているのです。 私たちはこのような御言葉から、主なる神様の恵みの豊かさ、その深さを知らされます。神様は御心によってご自身の民を顧みてくださり、恵みによって養ってくださるのです。そして、主は、ご自分の御翼のもとに逃れてこようとする一人一人を、いつも慈しみをもって迎え入れ、厚意を示し、恵みのうちに守り養おうとしておられます。私たちはこの主の御心をいつもしっかりと心に留めたいと思うのです。なぜならば、ボアズを通してルツに神様の顧みが与えられたように、神様は祝福を実現する筋道として、神と人とに真心から仕える私たちの信仰を用いられるからです。
ルツがナオミに「落ち穂拾い」をさせてほしいと願い出ると(2節)、ナオミはルツを送り出します。
落ち穂拾いとは、貧しい人々が生き延びるための手段でした。イスラエルの律法には、収穫の際に生じる落ち穂は貧しい人たちのために残しておかなければならないと定められています(レビ記19:9-10)。
ルツが出かけていった場所は、「たまたま」エリメレク一族、つまり有力な親戚にあたるボアズが所有する畑地であったと記されています(3節)。ボアズがエリメレク一族であることは1節と3節で繰り返されていて、わざわざ強調するような書き方がされています。聖書は重要な事柄を繰り返し述べるものですので、ルツがボアズのところに辿り着いたのは「たまたま」だと語りながらも、しかし背後で神様が働いていることを暗に示していると言えるでしょう。これを読むときに私たちは、偶然と思えることにも神様が確かに働いていることを期待させられます。
ボアズとルツの会話が8節から13節にかけて記されています。ボアズはルツに、落ち穂拾いの許可を出すだけでなく、彼女が生活の糧を得るための手段を確保し、さらには快く働けるように保護を申し出ました。これは並大抵ではない手厚さです。なぜ彼はこれほどの厚意をルツに示したのでしょうか。
その理由について、ボアズは11節でこう答えます。
「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」。
これが、ボアズがルツに厚意を向ける理由です。彼女は確かに「よそ者」すなわち「異邦人」であり「異教徒」であって、イスラエルの神様の恵みからは排除されるはずの人間でした。しかしながら主がルツを顧みて、彼女にあらゆる面で働いてくださったのでした。
まず、ルツはナオミを通して、イスラエルの神、主への純粋な信仰が与えられました。さらにルツは真心をもってナオミに仕えることによって、ナオミの属する民、すなわちイスラエルの民と一体的になり、イスラエルの神を自分の神としたのでした。
まさに、ルツは異国の出身でありながら、イスラエルの神である主の御翼のもとに逃れてきたのです。ボアズは、主の御翼のもとに逃れてきたルツに対して、主なる神様がお与えになる恵みの御心を、豊かな報いをここで現そうとしているのです。
私たちはこのような御言葉から、主なる神様の恵みの豊かさ、その深さを知らされます。神様は御心によってご自身の民を顧みてくださり、恵みによって養ってくださるのです。そして、主は、ご自分の御翼のもとに逃れてこようとする一人一人を、いつも慈しみをもって迎え入れ、厚意を示し、恵みのうちに守り養おうとしておられます。私たちはこの主の御心をいつもしっかりと心に留めたいと思うのです。なぜならば、ボアズを通してルツに神様の顧みが与えられたように、神様は祝福を実現する筋道として、神と人とに真心から仕える私たちの信仰を用いられるからです。