2024年11月10日「主の晩餐」

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聖句のアイコン聖書の言葉

26一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 27また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。 28これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 29言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」 30一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。マタイによる福音書 26章26節~30節

原稿のアイコンメッセージ

 この御言葉は今日私たちの教会で執り行われている聖餐式について、その制定の御言葉です。聖餐式は、教会の誕生以来、その初めから行われてきた大切な礼典です(参考:使徒2:42)。

 イエス様は、パンとぶどう酒を「わたしの体」「わたしの血」と言って、手渡されました。教会の聖餐式では、このイエス様の体とイエス様の血とを飲み食いしています。しかし、「教会がイエス様の体と血とを飲み食いしている」というこの字面だけを抜き出しますと、何か私たちがとんでもない儀式を行なっているかのような印象をもたれるかもしれません。実際はそのような魔術的な儀式を行なっているということではありません。

 イエス様は、別の箇所で「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」と言っておられます(ヨハネ6:56)。つまり、聖餐式を通してパンとぶどう酒を飲むことで、私たちがイエス様と結ばれる、一体になる、ということが言われているのです。それは、永遠の命そのものであるイエス様としっかり結ばれるということです。そして、このことを実現してくださるのは、聖霊なる神様のお働きです。

 聖霊なる神様は、私たちとイエス様を結び合わせてくださいました。そのことで、私たちの魂は、イエス様によって実際に養われるのです。あたかもパンとぶどう酒を飲み食いすることで私たちの肉体が養われるのと同じように、イエス・キリストの体と血とを飲み食いすることによって、私たちがイエス様と結ばれていることを実感し、また実際に私たちの魂が養われるのです。

 聖餐式は、実際にパンとぶどう酒をこの目で見て、手に取って、味わうという感覚的なしるしを伴います。神様は、御言葉によって私たちを養ってくださるのですが、それはただ言葉を聞いて頭の中で理解することに留まるものではありません。食事は、見るだけでなく食べなければ栄養になりません。いくら美味しそうな食事を目の前にしても、それを実際に食べなければ、私たちの体の中に栄養として取り込まれることはありません。それと同じように、私たちの「見て、触って、嗅いで、聞いて、味わう」という、私たちの感覚を通じても、神様は私たちを養ってくださるのです。このことを通して、自分が本当にイエス様に結ばれていて、イエス様が与えてくださる祝福を受け取っている。そのことを、確かに味わわせてくださるのです。神様は、私たちの感覚を通じても、イエス様の救いの恵みを味わわせてくださいます。イエス様の体と血とを飲み食いすることにより、イエス様の救いの恵みが今確かに私の内側にある。そのことをわからせてくださるのです。イエス様は確かに私のために十字架にかかって死んでくださった。イエス様の十字架の犠牲のゆえに、今私が生かされている。神様からの恵みをいただいている。そのことを、聖餐を通じて、私たちに十分に味わわせてくださるのです。