2024年11月03日「愛による浪費」
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愛による浪費
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- 金原堅二 牧師
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マタイによる福音書 26章1節~13節
聖書の言葉
6さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、 7一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。 8弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。 9高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」 10イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 11貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 12この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。 13はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
(6〜13節)マタイによる福音書 26章1節~13節
メッセージ
「香油を注ぐ」という行為について、当時は、お客さんをもてなす行為として、客の頭に油を塗る習慣があったようです。この女性が意図したことも、もしかしたらイエス様に敬意を表したり、特別な歓迎のしるしとしてそうしたい、ということだったのかもしれません。ただし、このとき女性が注ぎかけた油は、極めて高価なものであったと記されます。その点で、普通ではなかったわけです。だから、弟子たちが「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」と言って、憤慨したのでした。では、この女性がここで注ぎかけた香油とはどのようなものだったのか。マルコやヨハネなど他の福音書を調べてみると、これは「ナルドの香油」と呼ばれるもので、売れば300デナリオン以上の値打ちがあるものだったようです。人の年収ほどの価値あるものです。彼女としては、自分のもてる全てを注ぎ出すほどだったと思われます。
イエス様は「はっきり言っておく」と言って、この13節の御言葉を非常に力を込めて語っておられます。その内容は「世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」というものです。この女性がしたことは決して無駄遣いなどではなく、良いことであると言って、非常に喜んで受け止めておられるのです。
イエス様は、「この人は私の体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた」のだと仰います。それはつまり、ご自分の十字架の死というものが、ナルドの香油を注ぎかけるに値すると見做されたということです。実際、イエス様の十字架の死は、私たちにとって他のどんな財産よりも価値のある尊い死です。このイエス様の死によって、私たちが神様の御前に生かされているからです。イエス様は十字架の上で私たちの罪を背負っていかれました。私たちの身代わりになって、私たちの代わりに神様からの裁きをお受けになりました。このことによって私たちを生かしてくださったのです。そこに、イエス様の死の尊さと価値があります。この女性がしたことは、たとえ自覚していなかったとしても、イエス様の価値のある、尊い死に対する奉仕だったのです。それゆえ、イエス様は「この女性のしたことは、イエス・キリストの福音が宣べ伝えられるところでは、世界中どこでも語り伝えられる」と評価されたのです。
彼女は、イエス様を愛するゆえに自分の全てを注ぎ出して献身しました。その意味で、私たちもまた、実は普段からこの女性と同じことをしています。神様を愛するゆえに、喜んで礼拝をささげ、自分の持てる賜物をささげて奉仕をするのです。イエス様は、そのことを決して「無駄なことだ」と仰いません。この世の価値観から言えば浪費に思われることだったとしても、愛のあるところで、惜しむことなく喜んで浪費するのです。もてる時間をささげて礼拝し、もてる賜物をささげて奉仕をするのです。イエス様はこれを「良いこと」だと言ってくださいます。