2024年10月06日「小さな愛、大きな報い」
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小さな愛、大きな報い
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 25章31節~46節
聖書の言葉
31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 33羊を右に、山羊を左に置く。 34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
41それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。 42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、 43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 44すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 45そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 46こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」マタイによる福音書 25章31節~46節
メッセージ
イエス様は、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしてくれたことは、わたしにしてくれたことなのである」と仰います。私たちがそう思っていなかったとしても、ある小さい者の一人にしたことが、そのままイエス様に対する愛の業として受け止められる、ということです。そして、41節以下では反対に、小さい者の一人にしなかったことが、イエス様に対してしなかったことだ、と言われます。そのようにして、私たちが愛に生きたかどうかが、最後の審判の際に問われると言われています。
興味深いのは、ここで語られている愛の業は、自分では覚えてもいないほど小さな行いであることです。「私が、いつそのようなことをしましたか」と思わず問いかけるような、自分では当たり前と思ってやった行いが、イエス様に非常に高く評価されているのです。飢えている人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、裸の人に着せ、苦しんでいる人を慰めるという愛の行いが例に挙げられています。そのひとつひとつは本人にとって何気ないこととだったとしても、困っている隣人のために差し出すささやかな助けの手が、審判の基準になるほどに大切なこととして教えられているのです。なぜならそのような何気ない日常の中にこそ、私たちの本当の生きた愛が現れるからです。
愛の業を通して起きること。それは、神の国が現れるということです。イエス様が語っておられることは、世の終わりの日、再臨の日のことです。そのとき、神の国が完成へと導かれます。これまでの文脈でも、その日に向かって忠実に働いて、神の国の進展に仕えることが教えられてきました。そこで私たちがしなければならないことは、神の国の原理をこの地上に現すことです。
私たちが目指す場所、終わりの日の神の国では、小さな者の一人がまことに尊ばれます。それは、神様がその人を大切にしておられるからです。何よりも、イエス様ご自身が、罪のうちに滅びる引かなかった小さな私たちのために、身を低くして天から降ってきてくださいました。この地上に生まれてきてくださり、誰よりも私たちのために仕えてくださいました。十字架の死に至るまで従順に、私たちの命を贖うために仕えてくださいました。そのようにして、私たちに対する愛を示してくださいました。
そうであるから、「イエス様が仕えてくださったので、私も仕える」「イエス様が愛してくださったから、私も愛する」そのような道が、私たちの前に開かれているのです。そして、愛を行う道の先で、永遠の命の祝福が約束されています。その祝福を、兄弟姉妹たちと共にいただくことができるように、私たちは互いに愛し合って歩みたいと願うものです。イエス様が語ってくださったこの御言葉を、繰り返し思い返しながら、私たちの日常の中にイエス様の愛が息づくことを祈り求めて歩んでいきましょう。そのとき、私たちの日常の行動が変わり、神の国の姿が、私たちから広がっていくはずです。