2024年09月15日「委ねられた賜物を用いる」

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委ねられた賜物を用いる

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
マタイによる福音書 25章14節~30節

聖句のアイコン聖書の言葉

14「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。 15それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、 16五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。 17同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。 18しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。 19さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。 20まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』 21主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 22次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』 23主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 24ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、 25恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』 26主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。 27それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。 28さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。 29だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 30この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」マタイによる福音書 25章14節~30節

原稿のアイコンメッセージ

「怠け者の悪いしもべだ」と言われた1タラントンのしもべは、主人のものに対して忠実であることができませんでした。

このしもべが主人に対して忠実であることができなかった理由は、彼が主人の意図を読み違えていたからです。主人がタラントンを活用することを願っていると、気が付かなかったのです。

では、なぜこの1タラントンのしもべは主人の意図を読み違えてしまったのでしょうか。結論から申し上げると、この僕が主人について間違った認識をもっていたからです。主人のことをがわかっていないから、その心もわからないのです。彼は、自分の主人を「蒔かないところから刈り取る」方だと述べています。要するに「種を蒔いていない畑から『収穫を刈り取れ』と命じるような、無茶苦茶な要求をするお方だ」という意味です。理不尽なことを要求して、虐待してくるような、そういう酷いお方だと言っているわけです。「あなたが厳しい人だから、失敗したら酷い目に遭わされると思って、何もできなかったのです」と、言い訳をしているのです。ここに、僕の主人観、神理解が現れています。

私たちが忠実であるためには、お仕えする対象である神様の性質をわかっていなければなりません。神様をどのように理解するかで、私たちの生活の仕方が大きく変わってくるからです。神様を、理不尽で厳しいだけのお方と理解するところでは、失敗に対する恐れから、何も身動きがとれなくなってしまうでしょう。

しかし、実際はどうでしょうか。神様はイエス・キリストを与えてくださいました。イエス様は、私たち一人一人を「生かす」ために、ご自分の命を捨てて十字架にかかってくださいました。それは、私たちが罪のうちに滅んでしまうことなく、むしろ命を得るためになされたことです。こうして独り子であるイエスを与えることで、神様は私たちにご自分の愛を示してくださいました。「蒔かないところから刈り取る」どころか、イエス・キリストを通して、憐れみと恵みのうちに、命を与えてくださるお方です。私たちを愛してくださるお方です。まずはそのことをよく認識することです。そして、神様の救いの恵みをじっくりと味わうことです。神様の本質が「愛」にあることを覚えて、実際にその愛を受け止めているのであれば、そんな神様の愛に包まれて「できることをやってみよう」という積極的な思いが生まれてくるはずです。

天の国にはお金で換算できないほどの大きな祝福があります。そして、私たちが「少しのものに忠実」であるならば、神様は喜んでその祝福を与えてくださるのです。譬え話の主人は、儲けた金額そのものよりも、とにかく「主のために働こう」という忠実な姿勢を喜びました。同じように、神様は私たちの「主のために用いよう」という信仰をご覧になります。失敗を恐れて何もしないのではなく、「このことが、主のために用いられますように」という祈りをもって、自分に与えられているものを見つめましょう。そして神様の愛が広がっていくために、それをふさわしく用いていきたいと思います。