2024年08月11日「キリストの再臨」
問い合わせ
キリストの再臨
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 24章29節~35節
聖書の言葉
29「その苦難の日々の後、たちまち
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
30そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。 31人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
32「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。 33それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。 34はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。 35天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」マタイによる福音書 24章29節~35節
メッセージ
キリスト教信仰は、イエス・キリストが再び来られるという「再臨」の信仰をもっています。「使徒信条」では「かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん」と言われます。そこで言われているように、キリストの再臨には、主の裁き、いわゆる「最後の審判」が伴うのです。
再臨のときに行われる「最後の審判」は、罪と悪の力に対する裁きです。そのとき、地上から罪人が絶たれることになります。けれども、そういうことを言われたら、絶望してしまうのではないでしょうか。とても神様の裁きに耐えられるような地上生涯を送っているように思えないからです。「あのとき神様に背いてしまった」「悪意をもって人と接してしまった」「人を傷つけてしまった」「愛せなかった」。そういうものを、誰しももっていると思うのです。
そんな私たちが、最後の審判について語る時に、同時に覚えておかなければならないことがあります。それは、裁きのために来られるお方は、私たちのすべての罪を背負ってくださったあのイエス・キリストなのだということです。裁きのために来られるお方はイエス様です。私たちを愛し、すべての罪を背負い十字架にかかって、神の裁きをその身に受けてくださった、あのイエス様が来られるのです。別の人物が来るのではありません。再臨とは、私たちを愛し、私たちもまた愛するあのイエス様とお会いするときなのです。私たちはイエス様を信じるとき、このイエス・キリストに結ばれて、神様から義と認められています。その意味で、再臨の時とは、キリストの赦しを再確認するときでもあるのです。
大切なことは、このときに私たちがキリストの義の衣を着ていることです。イエス・キリストに結ばれて、イエス・キリストの十字架の贖いのゆえに、神様から義と認められていることです。イエス様を通して、罪からの赦しをその身にいただいている人にとっては、この再臨の裁きのときが、むしろ祝福の完成、永遠の命の恵みに至る希望の時となるのです。
強調点は、どこまでも永遠の命の祝福であり、信仰者にとっての慰めと希望にあります。イエス様は前回読んだ御言葉、21節のところで、「そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである」と予告されました。けれども同時に、「神様がその苦しみの期間を短くしてくださる」とも仰いました。私たちが苦しみに耐えることができるように、最後まで信仰に留まり続けることができるように、「苦しみを短くする」と約束してくださったのです。キリストの再臨の日は、主イエス・キリストの正しい裁きによって、悪の力が滅ぼされ、私たちが不当な苦しみから解放される日です。私たちがあらゆる苦難に耐えることができる根拠は、この再臨の日に約束された慰めと希望にあるのです。