2024年07月21日「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」
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最後まで耐え忍ぶ者は救われる
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 24章1節~14節
聖書の言葉
3イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」 4イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。 5わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 6戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 7民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。 8しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。 9そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。 10そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。 11偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。 12不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。 13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 14そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」マタイによる福音書 24章1節~14節
メッセージ
終末の徴については、4節から14節までで合計7つのことが挙げられています。
①偽物のメシアが現れること、②戦争が起きること、③飢饉が起きること、④地震が起きること、⑤迫害を受けること、⑥教会内部で分裂が起きること、そして⑦福音が宣べ伝えられること、です。
これらのことは、今の私たちの時代にも見出されるものです。つまり、イエス様がここで言っておられる終末の徴とは、世界が終わる瞬間のことだけを言っているのではなくて、今の私たちの時代の特徴を語っているものなのです。私たちが生きている時代は、「すでに」神の国が実現しつつある終末の時代であって、「いまだ」完成には至っていないけれども、終末の徴が見出される時代なのだということなのです。
このようなリストを見ていると、まるで「怖いものリスト」を見ているかのようです。これらのことが起きると、確かに私たちの心が騒ぎます。外側からも内側からも困難が襲ってきます。けれども、イエス様がこれらのことを語っておられるのは、私たちに恐怖心を植え付けるためではありません。そうではなくて、私たちが困難の中で、しっかりと信仰に立つために語っておられるのです。イエス様はこれらを「産みの苦しみの始まり」だと仰います。確かに、終末の時代に受ける困難は大きなものです。しかし、出産においてそうであるように、その先に大きな喜びが待っている、という事実がこの御言葉に含まれているのです。苦しみは苦しみで終わりません。すなわち、これらのことは、新しい天と新しい地の到来、神の国の完成の喜びにつながっているのです。
また、イエス様は「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」とも仰います。この「耐え忍ぶ」という言葉は、ギリシャ語の文字通りには「下に、とどまる」という表現です。つまり、神様が、ご自身の愛の下に私たちを集めようとされた、その下に留まるということです。神様の愛のもとにとどまる。イエス様の愛のもとに堅く立つ。外側からも内側からも困難に見舞われることがあるかもしれない。けれども、そこで神様の愛のもとに、イエス様のみもとにとどまり続けることが、私たちの救いのために最も根本的に大切なことなのです。その先に、大きな喜びがあります。終わりの時、神の国が完成する時に、みもとにとどまり続ける人には祝福が満たされるのです。
今日の御言葉で語られる7つの徴のうち、ひとつだけ、神の恵みを示すものについて触れられています。それが「福音宣教」です。「耐え忍ぶ」とだけ言うと、文字通りには「じっとする」ということかもしれませんが、終末の時代に生きる、実際上の私たちの動きとしては、もっと能動的なのです。今日の御言葉には、私たちの心を騒がせるような困難についても触れられてきましたが、実のところ終わりの時とは、恐怖のうちに来るのではありません。むしろ、福音宣教によって神の恵みと愛を拡大する、そのような喜びと希望の内に来るのです。