2024年06月30日「神よ、あなたを慕い求めます」
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神よ、あなたを慕い求めます
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
詩編 42章1節~12節
聖書の言葉
1【指揮者によって。マスキール。コラの子の詩。】
2涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
3神に、命の神に、わたしの魂は渇く。
いつ御前に出て
神の御顔を仰ぐことができるのか。
4昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。
人は絶え間なく言う
「お前の神はどこにいる」と。
5わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす
喜び歌い感謝をささげる声の中を
祭りに集う人の群れと共に進み
神の家に入り、ひれ伏したことを。
6なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
7わたしの神よ。
わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。
ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から
8あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて
深淵は深淵に呼ばわり
砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。
9昼、主は命じて慈しみをわたしに送り
夜、主の歌がわたしと共にある
わたしの命の神への祈りが。
10わたしの岩、わたしの神に言おう。
「なぜ、わたしをお忘れになったのか。
なぜ、わたしは敵に虐げられ
嘆きつつ歩くのか。」
11わたしを苦しめる者はわたしの骨を砕き
絶え間なく嘲って言う
「お前の神はどこにいる」と。
12なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。
【43編】
1神よ、あなたの裁きを望みます。
わたしに代わって争ってください。
あなたの慈しみを知らぬ民、欺く者
よこしまな者から救ってください。
2あなたはわたしの神、わたしの砦。
なぜ、わたしを見放されたのか。
なぜ、わたしは敵に虐げられ
嘆きつつ行き来するのか。
3あなたの光とまことを遣わしてください。
彼らはわたしを導き
聖なる山、あなたのいますところに
わたしを伴ってくれるでしょう。
4神の祭壇にわたしは近づき
わたしの神を喜び祝い
琴を奏でて感謝の歌をうたいます。
神よ、わたしの神よ。
5なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。詩編 42章1節~12節
メッセージ
詩編42編は、数ある詩編の中でも大変有名な御言葉で、「鹿が水を求めるように」というフレーズが印象に残りやすく、また讃美としても用いられます。詩人は、3節を見ますと、「魂が、渇く」と言います。また4節では「わたしの食べる物は、涙ばかりだ」と言います。詩人は苦難の中にいて「嘆き」の感情を訴えているのがわかります。この人が何を嘆いているのかと言いますと、神様の御前に出たくても出ることができない、ということです。「いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか」と語っている通りです。そして、「神の御顔を仰ぐことができない」とはどういうことかと言いますと、実はいま、神様を礼拝したくても礼拝できない状況にあるということなのです。
旧約聖書のイスラエルの民にとって、神さまを礼拝することは極めて重大なことでした。自分のアイデンティティと言ってもよいくらいです。そんな彼らにとって、「礼拝がささげられない」というのは、自分の存在理由すら脅かすような、危機的な状態だったわけです。ですから、2節にある「わたしの魂はあなたを求める」とは、本当に魂の生き死にに関わる切羽詰まった願いなのです。
詩人が、魂を注ぎ出して思い出そうとしていることは、過去のエルサレム神殿での礼拝です。彼にとって、かつて経験した、エルサレムでの礼拝は、心からの喜びでした(5節)。神様を礼拝していた喜びの体験を思い巡らすことによって、詩人は、まず彼の記憶の中に、神様を見出そうとするのです。このことによって、作者は、神様が遠く離れているという感覚を追い払い、神様に近づいていこうとしています。
信仰者の苦難は、神様から与えられたひとつの試練だと言うことができます。その試練の中で、私たちの信仰はまたひとつ成熟させられていきます。ではその試練を、どのように乗り越えることができるのか。結局のところ、神様から与えられた試練は、神様とつながることによらなければ、解決されることはないのです。あくまでも救いは、自分の中から出てくるものではなく、神様からくるものだ、というわけです。詩人は、43編3節で「あなたの光とまことを遣わしてください」と祈り願っています。つまり、神様から与えられるところの真実に生きることこそ大切であるということを知らされたのです。
神様から「与えられる」ところの真実に生きる。その姿勢は、三度繰り返された御言葉の中にも現れています。
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ。なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう。「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。
彼は、御顔を「待ち望め」と言っています。自分で探し出して見出すのではなくて、与えられるものを「待ち望む」のです。そうするときに、神様からの「光とまこと」が与えられる、ということです。重要なのは、常に神様を待ち望み、神様に信仰を告白し、神様こそ救いと信じ礼拝し続けていることなのです。