2024年05月26日「生きている者の神」

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聖句のアイコン聖書の言葉

23その同じ日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄って来て尋ねた。
24「先生、モーセは言っています。『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。
25さて、わたしたちのところに、七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが死に、跡継ぎがなかったので、その妻を弟に残しました。
26次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。
27最後にその女も死にました。
28すると復活の時、その女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしたのです。」
29イエスはお答えになった。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。
30復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
31死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。
32『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
33群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。マタイによる福音書 22章23節~33節

原稿のアイコンメッセージ

 サドカイ派の人たちは「復活」を信じていませんでした。というのは、復活の教えについては、彼らが重んじている「律法」には書かれていないからです。旧約聖書の中で「復活」について書かれている箇所は、そもそもそんなに多くはないのですが、書かれているとするならばイザヤ、エゼキエル、ダニエル書といった預言書でした。律法のみを神の言葉として大切にしていたサドカイ派の人々にとって、それらの書物に書かれていないことは受け入れられない事柄でした。

 イエス様はまず、サドカイ派に対して「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」(29節)と言っておられます。復活についての聖書の御言葉をちゃんと読んでいないし、復活についての神様の力を知らないから誤解するのだと言って、彼らの聖書理解の間違いを指摘しておられるのです。

 イエス様が言っておられるように、天国はこの地上の生活とは全く違い、結婚も出産もありません。さらに言うならば、病気することも、年をとることも、死ぬこともないのです。天国とは、一人一人が直接イエス・キリストと、父なる神様に結ばれて、永遠の祝福の中で生きる世界です。

 天国の世界については、私たちが一生懸命、想像力を働かせてみても、思い描くことができないのではないか、と思います。人間の理解を超えているのです。

けれども、天国には私たちの想像もできないような大きな祝福があると信じることは、神様の力を信じることと同じ意味をもっています。もし、私たちが「こんなことは想像もできないのだから、あり得ない」と言うとするならば、それは結局、神様が用意することのできる祝福は、私たちの理解できる範囲にしかない、と言っているのと同じことです。反対に、神様が私たちに用意してくださる祝福は、私たちの想像できる範囲をはるかに超えた、はるかに素晴らしいものだと信じるということは、それがおできになる神様の力を信じることに等しいのです。

 32節の「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とは、旧約聖書の出エジプト記3章からの引用です。この御言葉が、死者の復活とどのような関係があるのでしょうか。イエス様は、この御言葉を引用する時に、過去形で語られずに「…の神である」と現在形で語られていることに注目しておられます。アブラハム、イサク、ヤコブは確かに既にこの世を去っています。けれども、地上の体は朽ちても、その魂は今も神様と共に生きてる、と言うのです。

 私たちの肉体がこの地上に生きているときも、肉体の命が失われたときも、神様は私たちの神様であり続けてくださいます。ですから、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」との御言葉は、決して、地上の生涯を終えたら神は神でなくなるという話ではありません。むしろ、肉体が滅びてもなお、神様の前から私たちが失われることがない!イエス・キリストを信じていただいた永遠の命、神様が与えてくださる命がある!その事実を、イエス様は語っておられるのです。それは私たちにとって大いなる慰めです。