2024年04月21日「考え直して生きる道」

問い合わせ

日本キリスト改革派 滋賀摂理教会のホームページへ戻る

考え直して生きる道

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
マタイによる福音書 21章28節~32節

聖句のアイコン聖書の言葉

28「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
29兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
30弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
31この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
32なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」マタイによる福音書 21章28節~32節

原稿のアイコンメッセージ

 兄息子の方は、父親に「ぶどう園へ行って働きなさい」と言われたのに対して「いやです」と答えたのですが、結局は後から考え直して、言われた通りにぶどう園に行きました。それに対して、弟息子の方は、「はい」!と、非常に良い返事をしたのです。けれども、彼は行かなかったのです。その「どちらが、父親の望み通りにしたのですか」、これがイエス様からの問いかけです。この質問に答えることは、私たちにとっても簡単だと思います。祭司長や民の長老たちにとっても明らかでした。「兄の方です」。彼らはそう答えました。私たちも同じことを言うでしょう。

 両者の違いは何かと言いますと、ぶどう園に「行ったか、行かなかったか」ということでありまして、実際に父親の望み通りに行動したかどうかの違いによって、ここでは兄息子が「父親の望みに適っている」という評価を受けています。

「大切なのは行いである」。

ここだけを見ると、そのように読めないこともありません。ところが、イエス様の御言葉を読み進めていくと、徴税人や娼婦たちが、神様の御心に適う兄息子のような人々として描かれて、反対に「あなたたち」つまり祭司長や民の長老たちが御心に適わない弟息子のような人々として描かれているのです。それの何が問題かと言うと、徴税人や娼婦たちといった人々は、「行動・生活の実践」において、決して神様の心に適った生き方をしていなかったという点です。徴税人たちは、同胞であるユダヤ人たちから税金をただ取り立てるのではなく、必要以上にお金を取り立てて自分の懐に入れていました。娼婦たちにしても、異性との関係において全く神様の御心に適う歩みをした人たちではありませんでした。「あいつらは天国には行けない」と言われていた人たちであり、まさに行いにおいて罪人の筆頭だとされた人たちでした。

 では、彼らの違いは何だったのでしょうか。なぜ、徴税人や娼婦たちの方が、先に神の国に入ると言われたのでしょうか。彼らの何が、祭司長や民の長老たちと違っていたのでしょうか。

その違いは、「ヨハネの義の道」を信じたかどうかです(32節)。ヨハネとは、第3章に登場した洗礼者ヨハネのことです。ヨハネは、人々の罪を指摘して神様に立ち返るように教えました。悔い改めて立ち返るように教えました。神様に悔い改めるということがどういうことかと言いますと、自分が神様の前にどうしようもない罪人であると認める、ということです。

 イエス様がまことに求めておられる信仰とは、「心を入れ替えて、出かける」ことです。言い換えると、「神様の望みに生きる」ことです。そういう信仰を、イエス様は私たちに求めておられるのです。そうして神様の望みに生きるとき、私たちの奥底で何が起きているかと言うと、ひとつは自分が正真正銘罪人であると認めて、悔い改めることです。そしてもうひとつが神様の赦しのもとに出かけていくことなのです。自分が本当に罪人であることを認めて、神様の赦しのもとに生きる。そういう道に、イエス様は私たちを導こうとしておられるのです。