2024年02月04日「誰が天国に入るのか」

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誰が天国に入るのか

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
マタイによる福音書 19章16節~30節

聖句のアイコン聖書の言葉

16さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
17イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
18男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
19父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
20そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
21イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
22青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
(16~22節)マタイによる福音書 19章16節~30節

原稿のアイコンメッセージ

イエス様のもとに、一人の男性がやってきて尋ねました。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」。

この青年は、豊かに与えられていました。若くて人望があり、財産もあります。パッとみる限り、足りないものは何もなく、何不自由ない生活を送っているように見えます。けれども、決定的な何かが欠けているという思いがあったのでしょう。目に見えるものは多く与えられているが、自分には目に見えない何かが欠けている。有限のものではなく、無限のものが欠けている。永遠の命に関する何かが、自分には欠けている。そういう思いをもって、救われるために何が必要なのかと探り求めて、イエス様のもとにやってきたのです。

この青年が学びとらなければならないことは、救いの代価を自分で支払うことはできない、という真理です。彼は「永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と問いました。この人は、自分が何か善いことをすることによって、永遠の命の恵みを手に入れようとしているのです。それは、言い方を換えると、代価を払って救いを獲得しようとしているのです。彼は律法を真面目に守ってきた、その功績をもっていました。客観的に見ても、律法の戒めを敢えて破るようなことはしていません。けれども、「救い」は、律法の功績によっても買い取ることができません。神様の救いは、そんなに安いものではないからです。

では、結局、この青年にとって必要な、決定的なひとつのものとは何だったのでしょうか。それは、まことの救い主イエス・キリストを知って、ただキリストに従うことです。自分の力で律法を守っても、この青年のようにあらゆるところで不完全です。隣人愛に生きているようで、肝心なところで施しをすることができない弱さをもっています。そんな自分には何もないことを知って、ただ救い主イエス・キリストと共に生きること、これが欠かすことのできない決定的な一つのものだったのです。この一つのことを欠かすならば、どんなに財産をもとうが、どんなに律法の戒めを遵守していようが、一切のことが欠けているのです。

私たちもまた、救いを自分で買い取ることなど到底できない、という事実を深く心に留めたいと思います。永遠の命を得るために、支払うことのできるような代価は、私たちのうちにはありません。ただイエス・キリストが十字架の上で流してくださった血でしか、私たちの罪は赦され得ないのです。それは、私たちには想像もできないほど大きな大きな代価でありましたが、それを自ら支払ってでも、「私たちの命を買い取りたい」「あなたの命を買い取る!」というのが神様の御心です。神様は、そうやって私たちを買い取って、恵みの中に置いてくださるお方です。目に見えるものが豊かであろうとなかろうと、その救いの事実が私たちの中で揺らぐことは決してありません。救いをいただき、天国に入るために決定的な、たった一つのものは、イエス・キリストをもつことなのです。